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素晴らしい人生のために/今日の応援歌
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[6]
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┠●┼┨ 発行/2000.04.05
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 6 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。


----------◆CONTENTS◆------------------------------------2000 Nov.6----
「本当の自由について」 アグネス・チャン先生
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2/20(日)テレビ寺子屋 「本当の自由について」 アグネス・チャン先生

今度新しく「みんな未来に生きるひと」旬報社 が出ました。これは中高生のた
めに書いてほしいと言われて書いた本です。子供同志、親や先生とも余り話さな
いことをということで、外国で体験したこと、考えたこと、自由とか、死、中毒
、夢、思春期のことなど真面目で、なかなか普通の会話に余り出てこないような
ことを書いたわけです。

今度新入社員として入って来た21才の青年に新聞を読まないのと聞きましたら
「読まないっす」本はと聞いたら「読まないっす」と、”で”抜きでケロッとし
て答えるのです。彼だけでなく、最近の若い人や、学生も余り新聞を読まない人
が多くなったようです。お金がないとか理由はあるのかも知れませんが、なぜ新
聞を読まなければいけないのですか、と逆に聞いて来る始末です。

それは自由になるためですと言うと、「えっ!」と驚くのです。
何で勉強するのか。それはいろんな情報がないと無知になるからです。無知ほど
不自由なものはないからです。大昔は読み書きのできる人はほんの一握りの支配
者として、下の者を支配するためにできるだけ無知にしておく手段をとった。
世のなかにはまだまだ無知の人がたくさんいる。外国をいろいろと実際に見て回
ったが、まだ沢山いる。貧困のまま下積みの生活をしている人が沢山いる。

現在の日本は実に多くの情報が溢れている。新聞にしても日本中の地方紙までを
数えると無数といっていいだろう。ラヂオ、テレビ、インタ―ネットと頭に入り
切れない位の情報が飛びかっている。子供も全て全員学校に行き、小学校から中
学校迄は保証されている。読み書きの教育があるということは、自分から情報を
得る手段があるということだ。自力で取りにいける筈だ。

ところが、どうも今の若い人を見ていると、沢山の宝の山の中にいながら、見に
いこうとしないような気がする。折角飛べる翼を持ってるのに、切り落として、
歩くことを選び、またそれも止めて這いずることを選ぼうとしているみたいだ。

実は皆飛べるのになぜ飛ばないのだろう。飛べたら自由になれる。ではどうした
ら、飛べるのか。回りのことを見渡して、自分の能力を見つけるのだ。

そして自分の能力に満足ならそれを生かせばいいし、もし無ければ、もっと勉強
して更に力をつけて、自分に合わした飛び方をする。それが自由というものだ。

何も教えてくれなければ、または知らなければ、自分の背中に翼がついているこ
とすら知らないということになる。
飛ぶ時はたしかに怖いことは確かだ。特に最初は怖い。でもそれを何回かやって
ると、いつの日にか、ふっと風に乗って飛べるようになる。そして上から見ると
世界は広いものだ。自分の位置がわかる。勇気が湧いてきて、失敗してもチャレ
ンジできる。

ところが最近はどうも、余り頑張らなくてもいいのじゃないか、これでいいじゃ
ないかという傾向が多いようだ。

然し考えてみれば、親の方にも責任があるかも知れない。少子化とかで子供が一
人か、二人になったので、どうしてもこの一人に期待をかけるようになる。
失敗したら怖い。失敗して欲しくない。だから自分はこうしてきたから、お前も
こうしなさいと、子供に押しつけるようになる。

すると子供も、失敗してはいけなと思うようになる。それならやらなければいい
ということになるのだ。そんなに回りを気にしない方がいい。

自由とは自分に由る、従うということだ。無知だと自分が見えない。フリ―ダム
というのは自分で作り出すものだ。いろんな国を見てきてしみじみとそう思う。

八年前ベトナム戦争で米軍が使った枯葉作戦のダイオキシンによって、悲惨な状
態になったのを、あるテレビ局の取材の為にベトナムに行った。トットとベトち
ゃんという体がくっついた子供とも会ってきた。その時、この二人は日本の皆さ
んの暖かい援助があったからよかったけれど、そうでない子もたくさんいるから
、ぜひ見て欲しいというので、北ウイグルまで見に行った。ある建物の中に案内
された時、思わず、「ウワァ―」と叫んで、足がすくんでしまった。

丁度化学の実験室にあるようなガラスの容器にアルコ―ル漬けになった、亡くな
った赤ちゃんの遺体が何百となく、ずらっと並んでいるのです。頭が三つあるも
の、内蔵がはみだしているもの、足と手が変形しているもの、等々の奇形児ばか
りです。もうびっくりして、言葉も出ずに涙が止めどもなく流れました。思わず
膝まづいて、目をつぶって、夢中になってお祈りをしました。みんな、ただ黙っ
たままの、シ―ンと静まり返ったその部屋の中で、やがてトッ、トッ、トッとか
すかな音が聞こえてきました。何だろうと思ってそっと目を開けて見回したら、
何と、カメラマンの目から出た涙が、床にしたたり落ちている音なのです。
私達は涙を拭くことができますが、カメラマンだけはじっと皆の代わりに真実を
見つめなければいけないので、拭くことができないのです。誇張でも何でもなく
たまらない情景でした。

ところが最近はそれがなかなか発見できなくなったそうです。それは病院に産み
にこなくなったからです。もし奇形児が生まれると、レツテルを貼られる。その
家の女の子がお嫁に行けなくなる。だから、隠れて産む。最初の子、二番目の子
が大丈夫なら、病院に来る。

もう一組くっついて産まれた。でもこちらは完全に内蔵が繋がってないので、も
っとひどい状態だった。
更に、もう一人ぜひ見てほしいと言われて、車で三時間かけて会いに行った。そ
れは産まれてから、その子のお母さんが私の子じゃないといって逃げて行ったそ
うです。最初の二人まではよかったのだが、三人目で奇形児が産まれたのです。
お父さんがダイオキシンに冒されたのです。
大人の病棟のなかに古ぼけたベビ―ベッドの中にかわいい女の子が寝かされてい
ました。ベリ―ファインという名前でした。私の子供はみんな男の子なので、女
の子が欲しかったので、よけいに可愛く思いました。抱いてもいいかと聞きまし
たら、OKというので、抱っこしました。びっくりしました。その子には手足が
ないのです。丁度まくらを抱いている感じです。もう胸がすっぱくなるような、
キュ―ンとなって思わず泣いてしまいました。その頃私は丁度次男が誕生して間
もなくだったものですから、おっぱいが張ってるのです。するとその子が匂いで
わかるのでしょうか、ア、ア、ア、アッと泣いてせがむのです。泣かれたら自然
におっぱいがでそうになったので、上げてもいいですかと聞きましたら、いやだ
めです、あなたのビ―ルスがうつるかも知れないからと断られました。

ホ―チミン市では孤児院を訪ねました。それも全部奇形児ばかりでした。なぜ親
が子供を捨てるのですかと聞きましたら、こちらでは、奇形児が産まれると先祖
が悪いことをしたので、その呪いがかかってると信じられているのです。実は戦
争のおかげで、ダイオキシンに冒されてそうなったのだということを知らなかっ
たのです。家族も皆から差別される。だから他折角産まれても捨てるのです。

戦争が二十年終わってもう二十数年たって、ボランティアの人達が、一軒一軒回
ってそのことを教えた。その知識を得てから子をすてるのも少なくなった。
その孤児院で二十になる一人の女の子がいた。手足が不自由だったが、毎日ミシ
ンを踏んで、将来英語の先生になるのだと一生懸命勉強していた。私にはその子
の背中に翼が見えた。まわりがよく見えている。生きてるから恵まれている。
自由です。自分の価値をよく知っている。できることを頑張ってやっている。

こんなに豊かな日本で、退屈だ、窮屈だ、自由がないなんて、とんでもない。私
は子供にはそんなことは言わせません。
自分の自由に気づいてほしい。回りをよく見て、判断して大空に飛んでほしい。

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[7]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2000.04.12
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 7 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2000 Nov.7----
「子供は親の鏡」 全国児童館連合会事務局長 鈴木 一光先生
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2/27(日)テレビ寺子屋 「子供は親の鏡」

子育てはある意味で、保護と育成の必要がある。余り危険なことに対しては、し
ないように注意しなければいけないが、さりとて度を過ごしたら、いわゆる過保
護ということで、子供を駄目にしてしまう。構ってやらねばいけない時と、少々
怪我をしても、自分でやらせて覚えさせねばいけない場合とがある。

昔は子供の数も多いし、遊びも外で夢中になってて、ご飯よと何回か呼ばれなけ
れば、家に帰るのも忘れて夢中になってやっていた。然し今は極端に言えば分刻
みのスケジュ―ルで追い回されているような状態だ。

親は矛盾してる面が沢山ある。勉強しなさいと言いながら、用事を言いつけたり
、もっと運動しなさいと言ったりする。子育てとはその矛盾にどう対応していく
か、考えながらやっていくことだろう。

皆さんは全員子供を幸せにしたいと思っているでしょう。学力だけではなく本当
の意味における、幸せな子供を育てるにはどうしたらいいかを考えてみたい。
そのためには、親や先生や指導者が一寸だけ幸せなことが必要です。

みんなだれでも、辛かったことや嫌なことがあったに違いない。然しそれが極端
だと子供に接すると感情移入ができなくなる。

小さい時からお父さんに叩かれて、お母さんにいつもガミガミ叱られて、御飯も
食べさせられず、外へ閉め出されて、学校にも行かせて貰えないというような子
供が施設に来た時には、ああこの子供はさぞ辛い生活を送ってきたのだなあと涙
の一つもこぼせる人になって貰いたいと思う。

そんな子供を見た時、大人が余りひどい経験ばかりしていると、よく判るかと思
うと案外そうではなく、かえって「何よ、この位、私が子供の頃はもっと大変だ
ったのよ。私は7才の時からしじみを売って、それから新聞配達をして、帰って
から、赤ん坊を背負って・・・・」と言い勝ちだ。嫁と姑の関係もそうだ。

自分がちょっと幸せだと、子供の気持ちがよくわかって、大変だなと同情できる
。人も幸せにして上げたいという気持ちがあると思う。

自分がまず幸せになる必要がある。

きれいな女の人が結婚詐欺にかかりやすい。昔から自分の所にいろいろものを言
ってくる男性が沢山あるのが当たり前と思って油断がある。そうでない人はそう
いう思いをした経験がないから、こんなことを言ってくる筈がない。一寸おかし
いぞと警戒心があるから余り引っ掛からない。

だからそんなことはめったにないことだという常識を中学生頃から教えていかな
いといけない。

小さい時に両親の愛情を一杯受けることが幸せな人になる。母乳やミルクをお母
さんから飲ませて貰う時、肌の暖かさと甘い匂いを感じ、まんまよ、まんまよと
お乳を飲む度に何百回となく言われると、自然にまず右脳で感覚的に心地よさを
覚え、それが自然に左脳に”まんま”という言葉をインプットされるわけだ。
喜怒哀楽は脳幹で鮮明に受け止められる。これが三つ子の魂、百までということ
で、記憶の第一歩なのだ。

反対に授乳途中に、お客さんが来たからといってどんと投げられたりすると、そ
れは恐怖体験として記憶されて情緒不安定のもとになる。

母親が子供に話しかけながら、いろいろと動作をすることは極めて重要なことだ
。日本の赤ちゃんは一万回以上も聞いてるうちに覚えていくものだ。
母親の声や言葉使いに娘がそっくりになるということがよくある。小さな子を叱
ったり、教えたりするものの言い方がそっくりだと驚くことがあるでしょう。

大きい声で、品のない言葉で叱ると、子供もそうなる。親を見れば子供がわかる
。その逆も真なりで、子供を見れば、親がわかる。

学校は人生の手段を学ぶところだ。家庭では大人になって社会に出た時に幸せに
なれる言葉を教えなければいけない。
なにからと言えば、人に愛される言葉を身につけることが大切なことだ。
保母さんと子供を見ていても、子供が「お姉さん、今日のブラ―スとてもすてき
だね」と言ったら、「あら、わかってるじゃないの」と変わってくる。
もしそれを「僕たちのお陰で給料がもらえるんでしょう」なんて言ったりすると
、「何を生意気な」となるでしょう。これが人情というものです。

不吉なことを想像する能力を持ってるのが大人である。自分がいつどうなるかわ
からないが、その時子供がどう対処すべきかを早く教えなければいけない。
それが人に好かれる言葉はこんにちは、さようなら、よろしくお願いたします。
ハイ、ごめんなさい、挨拶、返事。そして相手の長所を認め、素直に褒めること
だ。
親のうしろ姿が子供を育てる。

受験勉強の一つの弊害は、答えが決まっている。そこへいかに早く到達できるか
ということだ。自分で考えない。そこで何事も自分で考える習慣を身につけさせ
ねばならない。誰と結婚するか、幸せになるかどうか、就職はとか不特定なもの
ばかりだ。

もし、子供から象を飼ってほしいと言われたらどうしますか。おそらく、「何言
ってんの。そんな馬鹿なことを言って」位の対応でしよう。

ところが以前ドイツのミュンヘンではどう対応しているか。
まずお母さんは「じゃあ、どんな象がほしいの」と聞く。わからないと言ったら
、動物図鑑で調べさせる。インド象となったら、印度から買わなければいけない
が、飛行機では無理だから、船だとしたら、どの位かかるのだろう。値段は、象
を飼う小屋はどうどの位かかるだろうか。そうしたら、家の改造も、キャンピン
グカ―も、お小遣いも駄目ね。どうすると聞いたら、それではいいよとなる。
但しこれはせいぜい年に一、二度位にした方がいい。毎回、毎回こどもが何か言
って来る度に、一寸そこへお座りと一々言われたのでは、子供もたまらない。

それから思春期になったら、親がださいと思っている。TVを見るとお父さんが
田村正和、お母さんが田中美佐子、それがうちはな―に、トドと豚が寝転んでい
る。これじゃ私の人生知れている。そして鏡を見るのが思春期のはじまりです。

この時、親が壁にならなければならない。「いいの、トドと豚があんたを育てた
の。もし気にいらなければ出ていきなさい。出ていかなければ、トドと豚のいう
ことを聞きなさい。うちは門限8時なの」こういうところを、おちゃらけたこと
形でどんどん譲っていたら、駄目なのだ。これが家庭の文化というものだ。

そして欠点だらけの親が一生懸命に育ててるのということをわからせることが大
事なのた。こういうそしてト―タルとして、あんたが成績が悪かろうが、どんな
ことがあってもあんたが好きだよということをわからせることが大事なのだ。
そして二つ叱って、三つ褒めということをしながら育ててほしい。

テストの100点満点の時、50点とってきた時、今度は100点とらなければ
と言わずに、今度は55点とるように頑張ろうと言って下さい。

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[8]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2000.04.19
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 8 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2000 Nov.8----
「ほほえみ」 ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀
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昭和40年2月、私が言論科学研究所のインストラクタ―になって間がない頃
でした。指導部員講座の中で私は、ある日花岡先生から、「ほほえみ」というテ
―マで講義を受けました。先生は当時65歳位で、精神薄弱児童の為の花岡学園
の園長もなさっておられ、人格円満なすばらしい方でした。ところが正直いって
その時私には、ほほえみの本当の意味がよくわかりませんでした。

やがて先生は癌になられ、慶応病院に入院なさいました。何カ月かたって、退
院なさいましたので、私たちはすっかりよくなられたと思っておりました。とこ
ろがあとでわかったのですが、そうではなかったのです。勿論私たちは知りませ
んでした。しばらくして再入院なさいました。

さて、話は変りますがその年の9月、私の長女が生まれました。豊美と名づけ
ました。通称トミ―と呼んでおりました。3か月位たった頃、ある晩夜中にまさ
に火がついたように泣きだしたのです。どうしたのだろうと私たちは一生懸命に
あやしたんですが、一向に泣きやみません。おっぱいかな、おしめかなといろい
ろやったんですが、どうにもなりません。しまいには家内まで泣きだ
しそうになりました。その時母が「そうだ、知江子さん、ひょっとしたら喉が乾
いてるのかもしれないよ。」と家内に言いました。そうかというわけで、早速ぬ
るま湯を飲ませました。するとどうでしょう、今の今まで手が付けられない位に
泣いていたのが、ピタッと泣きやんで、ニコニコッと笑ったのです。

まるでいままでのことが、嘘のような気がしたくらいでした。
さて、その年の暮れ、私は花岡先生の病院にお見舞いに行きました。だがその時
先生は癌の末期症状で、すっかりお痩せになり看護婦さんから5分だけにして下
さいと言われたくらいでした。
そこで私は「先生こんにちは、お見舞いに参りました」「おぉ、中村君か、よく
来てくれたね」「先生実はこの2月、先生から「ほほえみ」という講義をお聞き
したのですが、私には本当の意味がよくわかりませんでした。ところがごく最近
うちの娘が・・・」とさっきのことをお話しして、「やっとほほえみということ
の、本当の意味がわかったような気がしました」と申し上げたんです。
すると先生がいきなり私に手を合わされて、「中村さんわかってくれたか、よか
った、よかった。赤ちゃんは神様なんだよ。つらいこと、困ったことを泣くこと
でしか表現できないんだよ。だからその一つ一つを取り去ってあげたら、自然に
ニコニコと神様本来の笑顔になるんですよ。これが本当のほほえみの意味ですよ
」とおっしゃいました。

「先生、ありがとうございました」私も思はず合掌していました。
これが花岡先生と最後のお別れになりました。十日ほどのちにお亡くなりになり
ました。私は花岡先生の最後の講義をお聞きできたわけです。

花岡先生のおっしゃられたことは、ほほえみというものは、決して表面だけの
つくり笑いといったものではない。邪心をなくして、神のごとく清らかな心で相
手に接する時、自然に浮かぶ優しい表情をいうのです。道元禅師のいうところの
、和顔愛語の和顔です。にこやかな、ゆたかな、明るい表情で、愛と慈しみのこ
もった言葉を相手にかけてあげることです。ところがだんだん大人になると、我
欲がでてきて醜い表情に自然々々に変わってきて、むりに作ろうとしてもいわゆ
るつくり笑いしかできない。結論はこころを美しくしない限り、ほんとうのほほ
えみではないということです。

以上
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[9]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2000.04.26
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 9 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2000 Nov.9----
[天職・最後の一通の茶封筒]
[父兄参観日と大好きなお父さん]
[大好きなお父さん]
ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀
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今日こそ、さいごの仕事だ。このカバンの中身を全部配達し終わったら、辞表
を提出して辞めてやるんだ。そう心の中でつぶやきながら青木さんは歩き続けて
いました。
実は青木さんは、中学を卒業してすぐ、家の事情で高校に行けずに郵便局に勤め
ました。
やがて郵便配達の仕事についたのですが、高校にいった友達が楽しげに笑いなが
ら歩いているのに道ですれ違うのが、羨ましいと思うと同時になんとなく恥ずか
しいのと両方で、この仕事がいやでいやで、たまりませんでした。

そこでここ数日、今日こそは今日こそはと思いつつ歩いてるのです。
もう冬の日はとっぷりと暮れて、まっ暗になりました。さあ終わったぞ、やれや
れと思ってカバンの中をのぞいて見てみたら、一番底に一枚の茶色の薄い封筒が
貼りつくように残っていました。
手にとってみると、なんと一山越えた、受け持ち区域の一番遠い所です。なん
だよりによって、一番最後に一番遠い所なんて、よくよくついてないなとがっか
りしました。

急に疲れがどっと出てきたような気がするくらいです。よっぽどこんな薄っぺ
らな一通ぐらい破ってしまおうかという気持ちすらおきましたが、いやそれはい
かんと気を取り直して、重い足をひきずるようにして歩き始めました。

小一時間後やっとポツンと小さな明かりが見えてきました。ようやくたどりつき
ました。
「郵便です」と声をかけた瞬間、パッと玄関の電気がついてバタバタと四,五人
がでてきて、ひったくるように受け取って、封を切るや否や「わ―い、やった、
やった。合格だぁ、合格だぁ」とたんに家族ぐるみで一斉に「バンザ―イ、バン
ザ―イ」の大合唱です。

そしてみんなで「郵便屋さんありがとう。ありがとう。遠いところをご苦労さ
ん!ほんとうにありがとう」と握手ぜめです。

この瞬間青木さんの心が変わりました。「僕の仕事はすばらしい仕事なんだ。
待っていてくれて、しかもこんなにも喜んで感謝してくれる人がいるすばらしい
仕事なんだ。決して辞めるもんか」と・・・。

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[父兄参観日と大好きなお父さん]

田中さんは今度の日曜の父兄参観日がやってくるのがとても心配で堪らない。
眠れないくらいだ。というのも、息子の健一の一番苦手の算数の授業だからだ。
どうかうまくやってくれればいいがと神様に祈るような毎日だった。
とうとう、その日がやってきた。先生が「さあ、これがわかる人」「ハイ!」
「ハイ、ハイ!」元気よく子供たちの手があがる。
「うちの一郎はどうかな。うん、あげてる、あげてる。これなら大丈夫だ」
ホット一安心。そのうちだんだん質問が難しくなってきた。
そろそろ心配になってきた。だがいぜんとして一郎も手をあげている。
「あいつ、いつも家ではわからない、わからないといってぼやいてるくせに、ど
うして今日はあんな難しいのに判るんだろう」
不思議で仕方がなかった。その晩田中さんは息子に聞いてみた。
「おい、健一。今日はよくやったな。だけどあんな難しいのがよく判ったな。ほ
んとにみんな判ってたのか」

「いや、そんなことはないよ。三つぐらいは判らなかったよ」
「おいおい、冗談じゃないぞ。そんなことしてもし指されたら大変じゃないか」

「大丈夫だよ。お父さん。先生がね、いよいよ明日は父兄参観日だ。そこで手が
上げられなかったら一寸恥ずかしいだろう。そこでもしどうしても判らなかった
ら、親指を曲げて手を上げなさい。そうしたら先生は指さないから、心配しない
で元気よく手を上げなさいと言ってくれたんだよ。」

「なんだ、そうだったのか。でもいい先生だな」「うん、僕たち、みんな先生が
大好きなんだ」
子供の気持ちを守ってくれた先生に、田中さんはなにかほのぼのとしたものを感
じました。
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[大好きなお父さん]

大好きなお父さん
僕はいつもお父さんと一緒に釣りに行く。
「さあ、今日はどっちが先に釣るかな。がんばっていこう」
「うん、今日もきっと僕が先に釣ってみせるぞ。競争だ!」
「よ―し、負けないぞ。ヨ―イドン!」
いつものように夢中になって釣りはじめた。なかなか釣れなかったが、やっと手
ごたえがあった。
「わ―い、やった、やった、今日も僕が一番槍だぞ!」
「う―ん、残念、また負けたか。よ―し今度はお父さんの番だぞ今に見てろよ

やがてお父さんが釣り上げた。でも先に釣り上げるのはいつも僕だった。だがあ
る日ふと気がついたら、お父さんは僕が釣り上げるまで、いつも餌をつけずに釣
っていたのだ。「お父さんて優しいんだね」と言ったら、お父さんは恥ずかしそ
うに
「だって、お前はまだ2年生だからな。よ―し、この次は堂々と男と男の真剣勝
負だ」
「うん。きっとだよ。負けないぞ!」僕は次の日曜日が楽しみだ。
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今週号は連休前の特別企画として、三連発の大サ―ビスです。いろいろなお話が
まだまだたくさんあります。是非中村先生にも応援歌を送ってあげて下さい。

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[9+1]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2000.04.29
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【連休増刊号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2000 zoukan---

4月22日テレビ寺子屋 「魂(こころ)をつなぐ歌」 アグネスチャンさん
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皆さん、こんにちは

初夏を思わせる陽気になって参りました。久しぶりにアグネスチャンの講演をお
送りいたします。彼女の体当たりの講演には本当に頭が下がります。
ぜひ一遍寺子屋で本物の講演を聞いてみて下さい。迫真力に圧倒されます。
信念に燃えた方の話は本当にすごいと思います。
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私は10何年前からかなりいろいろな国を回って、ボランティア活動をしてきま
した。きっかけは中学生の頃からやっていたのですが、でも大人になって本気に
自分の人生の大きな柱としてやっていきたいと思ったのは、そのタ―ニングポイ
ントは初めてアフリカにに行ったことだと思います。もう15年も前になります
が、今でも昨日のように、鮮明に覚えています。一生忘れることはできません。

エチオピアでした。丁度1985年の時で、内戦と干ばつで100万人単位の人
たちが飢えて死んでいくのです。当時はもう十分にご飯を食べられてる時代でし
たから、飢えということはもう忘れた言葉になってましたから、改めて勉強をし
てから行きました。着いたらやっぱり遠い国からではぜったい判らない悲惨さが
あるということがわかりました。

まだアジスアベバはいいのですが、皆さんの募金で建てられた難民のキャンプが
ある北の方のスリンカ村というところへ行くにつれ、どれ位大地が砂漠化されて
いくかがよくわかりました。草木が一本も生えてなくて砂嵐です。車が走ると尚
更大変です。その間にどんどんさまよう人が増えてきたのです。10何時間も車
が走ってるのに人の列が尽きないのです。私があの方達が難民なのですかと聞き
ましたら、とんでもない、彼等はエチオピア人です。自分の村に食べ物が無くな
ったので、仕方なくまだ生きてる人をつれて助けを求めて歩いているのです、と
言われました。

皆さん満足に服を着ていません。そうするとどの位細いかがよくわかります。私
たちは痩せてることを表現する時に骨と皮だけと言いますが、急激に痩せると、
骨と皮がくっついていません。うしろからみると一枚の皮がぶらさげられて、み
んなのお尻の方に溜まって歩くたびにゆれるのです。歩く骸骨といいますが、う
そです。骸骨は歩けません。這いずってるのです。飢えた子供を背中に背負って
這っているのです。初めて車を止めたのは検問にあったからです。内戦中ですか
ら止められないのですが、いきなり兵隊が「止まれ、動くな」と鉄砲をかまえる
ので、止むを得ず、止めました。そしたらまわりに一杯集まってきて、どうか子
の子を助けてと口々に叫ぶのです。下に降りて助けてあげたいと思ったのです。
そうしたら急に又、行け行けと追い立てられました。窓を見たら、みんなの手の
ひらの膿と血にまみれた手形がべちょっと一杯になっているのです。わたしは思
わず、ワァッと叫びました。そしたら、現地の人が、皆さんはもう忘れているで
しょうが、ハンセン氏病、コレラ、皮膚病、マラリア、赤痢、フィラリア、今ビ
―ルスがはやってるから、大量に出血して大勢が一度に死ぬのです。あなた達も
気をつけて下さいと言われました。

初めて降りたのが麦を運ぶ作業のためです。そしたら向こうの村の子供達が私達
の姿を見つけて、ワァ―イと一斉に走ってくるのです。子供達が移動するとすご
い臭い、すごいほこりです。でもなによりもすごかったのは蝿の群れです。真っ
黒な雲のように、ブ―ンとものすごい音を立てて、子供達と一緒にやってくるの
です。私達は一瞬びっくりして思わず逃げたのです。すると子供達も一斉に立ち
止まりました。ほんの一瞬でしたが、私は自分のことが嫌になりました。何が福
祉だ、何がボランティアよ、折角子供達がやってくるのに逃げたりして、早く行
けよと、自分で自分のお尻を叩くように自分を攻めました。

でもそう思ったとき、子供達が一斉に散ったのです。麦の運搬中に麦が袋からこ
ぼれて地面に落ちているのです。それを見つけてわあっとトラックの下に潜り込
んで、麦も砂も構わず一緒にわあっと、口にほうりこむのです。生の麦です。砂
です。
それをジャリジャリと音をたてながら、必死になって食べているのです。ところ
がそれを見て、現地の人は大切な麦を取られたらいけないと、鞭をだして、あっ
ちにいけとパ―ン、パ―ン、パ―ンと追い払うのです。血が飛び散るのです。私
達は驚いて、「いいじゃないか、止めて下さい」と叫びましたが容赦なく追い払
うのです。作業していた大の男がみんな涙を流しました。
問題は創造していたよりも大きいのです。もう何も言えなくなりました。でも自
分の力は小さい。どうしょうと考えて、私のできること、つまり歌を作ろうと思
いました。
私は現地の人から言葉を教えて貰って歌を作りました。「チュ―ルリツチ、チュ
―リツチ、テナナッチョ、テナナッチョ、ワ―テリナ」可愛い子供ね。皆さんお
元気ですか。お友達という意味だったんです。

やがてスリンカ村の難民キャンプにつきました。3500人位の子供子供達ばか
りで大人はいません。なぜかと聞きましたら、大人は食べなくても子供よりは少
しは持つというので、33キロ以下にならないと収容できないそうです。

子供達には蝿がいっぱいたかっています。干ばつなので蝿も水分がないので、そ
れを必死になって求めているのですがどこにもありません。人間の目と口と歯ぐ
きです。もし口をあけてたら、ワッ―と飛び込んできます。膿と血がにじんで不
衛生極まる状態で、それを又蝿が媒介体となって、病気が伝染するという悲惨な
有様です。

それでせめて歌で慰めようと思って、私は自分で作った歌を歌いました。
すると最初は変なおばさんだなとキョトンとしていた子供達が、やがて一人、二
人、三人と立ち上がって、エンヤ―ハヤ、エンヤ―ハヤと踊りだすのです。
アフリカ独特の体を前後に揺すりながら踊るのです。ほかの子供達はフ―ンハ、
フ―ンハと合いの手を入れてくれるのです。本当に可愛いのです。立つと痩せて
るのが余計にわかるのです。太ももなどが私の腕ほどもないのです。

もう可愛くて可愛くてたまらなくなって思わず抱きしめました。このまま死んで
も構わないと思いました。その瞬間「私、生きてるんだな」と実感しました。何
だ救われたのは、ボランティア活動をしてる私達の方だと思ったら複雑な思いが
しました。子供達に教えられました。でも私は弱い人間だった。いざという時に
、逃げ出した。悲惨なことも限度を越したら、どうしたらいいかわからなくなる
ものです。金縛りにあったようなものです。

でも美しいものを受け止める心というものは無限だと思う。もし助けてあげたい
とおもったら力が湧いてくる。

それまではボランティアは、私が少しは恵まれているから、困っている人達に手
を差し伸べてあげることだと思っていたが、違うんだな。目の前の子供達が死ん
だら私も困るよ。頑張って食べてくれ、生きててくれ。その為に私がやれること
があったら、何かお手伝いさせて下さいという気持ちでなければいけなかったん
だなとことだと、ようやくわかったのです。

それでも子供達がバタバタと倒れ、死んでいくのです。母親は子供が死んだら天
まで届くような大きな声で泣くのです。その泣き声が大きければ大きいほど、天
国に行かれると信じられているのです。キャンプの中で一日中大勢の子供が死ん
でいくのです。六人目が死んで埋められた時、とうとう耐えられなくなって、御
飯が食べられなくなってしまいました。何か自分だけ食べててどうすると思った
のです。すると看護婦さんから怒られました。食べないで病気になったらお荷物
になるばかりだから、与えられた仕事を果たしなさいと言われました。

それからベトナム、タイ、カンボジヤ、ス―ダンで学校を建てたり、井戸を掘っ
たりしました。バングラディシュ、エチオピヤ、タイには里子もいます。

先進国にいたら見えてこない大変なことがあります。キャンプで食べ物を食べて
力をつける。ところが時々それをさっと隠す子供がいる。ある日一人の子供をつ
けて行きました。そうしたら家に帰って、自分は食べないで、寝込んでいる両親
に自分の食べ物を持って帰って食べさせているのです。

アルメイトという3才の女の子供と、アラゲイという8才の男の子供がいました
。最初私はてっきり兄弟だとばっかり思っていました。キャンプは原則として子
供は泊まってません。アルメイトは赤痢になり、母親が捨てて逃げたのです。
アラゲイは母親が病気で亡くなったので、特別にキャンプに泊めてくれたのです
。そしてこの子供を見てくれと言われて、一生懸命に看病してついに直ったので
す。そしていつも抱いてやっているのです。

人間ていいねと思いました。こんな状況の中で本当に愛し合えるとはすばらしい
ことだと思います。たくさん教わりました。

一つ納得したことは、独りが動いて世の中が救えるか。私が一生懸命歌っても世
界が救えますか。でもみんなが募金をしたり、天災があったら、早く助けてあげ
てと祈り、皆他人であっても、皆信じあっている。この気持ちはきっと伝わる。
ボランティア活動をやらないよりやる方がいい。こう信じるようになったのです

自分の役割をきちっと果たしなさい。みんなの力を合わせるとすごいことができ
る。それから私はチャラチャラした歌が歌えなくなりました。然し今はもう下の
子供が3才になりましたし、自分の活動もようやく軌道にのってきたので、よう
やくラブソングが歌えるようになりました。やがてそんな子供達もこのラブソン
グで楽しんでもらえると思って歌えるようになったのです。

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IA magazine 素晴らしい人生のために 毎週水曜日発行(週刊誌) 連休増刊

発行■インプットアルファ http://www.futaba.ne.jp/~ko-ko/index.html
責任■小林 高一 ko-ko@futaba.ne.jp
執筆■ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀 LDJ04070@nifty.ne.jp
配信■まぐまぐ 0000026706 http://www.mag2.com/

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