INPUT ALPHA メールマガジン

素晴らしい人生のために/今日の応援歌
<<<< バックナンバー のページ >>>>
[62] [63] [64] [65] [66]  2001年 5月発行分    

[62]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.05.02
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 62 号】
┗┷┷┛==============================================================

●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.62---
テレビ寺子屋 「友達づくり」 教育評論家 坂本 光男先生
------------------------------------------------------------------------
坂本先生は小学校、中学、高校、更には大学の先生をなさった日本でも珍しい方
です。つい最近「元気な子育て、今親にできること」という本を出されました。
出版社は明治図書です。

今、子供達の問題が盛んに言われているが、絶対にどの子供にでも可能性がある
と言える。周りの環境条件の変化によって、子供がいろいろと問題行動を起こす
のであって、その可能な条件を、親が作っていくことで必ず解決できる。

幾つかのポイントがある。友達がいる、自分でいろんなことができる、人と対話
ができる、勉強だけではなくて、いろんな世の中のことがわかりながら立派な人
間として成長できる、そのへんのことがつかめると、子供が豊かに成長できる。

ところが現実には、勉強、勉強と、成績、偏差値のみを問題にして、早くやれ、
強くなれと無闇に押しつける傾向がある。強くなくてもいい。人にやさしくなれ
る人間になればいい。勉強はそんなにできなくてもいい、みんなの気持ちが分か
って、人の役に立てる力が持てればいい。

1.友達をどう作るか。友達の作れる子、かかわれる子、それを家庭、学校でど
う育てるか。これについて考えてみよう。
今、少子化傾向、塾通い、TVゲ―ム等々の影響で、子供が地域で遊ばない、欲
しい友達が作れない、うまく遊べない、人との関わりができないという傾向が多
い。
友達がいない子供は元気がない。友達を作れない子は学習意欲が湧いてこない。
かかわりがないから、苛めや殺傷事件が多発している。そんな中で、どうやって
具体的に友達作りをしていったらいいのか。

先日、小田原の城北中学校で、非常に感動した話を聞きました。
2年生の5クラスが対抗で12月に大縄跳び大会をやることになりました。皆さ
んご存じでしょうが、二人が回す縄で、クラス全員37人が揃って一緒に飛ぶゲ
―ムです。
さあ、ところが、ここで問題が起きました。星野君が一人だけ、まったく飛べな
いのです。縄跳び恐怖症なのです。
クラスのみんなは一瞬、暗い表情になりました。ビリが決定的だからです。でも
兎に角やってみようということで、左右の子がバンドを掴んでやったり、手を繋
いで飛んだりしたのですが、やはり駄目でした。なにしろ、たった一回しか飛べ
ないのです。だんだん練習している中に、星野君の表情がその内に厳しくなって
きました。つらいのです。
みんなもやっぱり最下位決定だと、元気がありません。

見かねて先生が提案しました。「どうだろう。星野君を一つ号令掛かりにしたら
どうだろう。そしてみんながそれに合わせて頑張ったら、きっとうまくいくだろ
う。そうしないと星野君が不登校になっても困るから、どうだろう」
クラスは、みんなシ―ンとなりました。なぜならもし賛成したら、星野君を邪魔
にしたことになるし、反対したならば負けることになるわけですからね。

兎に角練習は、一応そのやり方で続けました。星野君のメガホンの号令に従って
一生懸命にやりました。大分調子が出てきました。
ところが、いよいよ本番三日前になって、金子君が先生の所に相談にやってきま
した。そして「先生、たとえ星野君が下手でも、みんなで一緒にやるべきではな
いでしょうか。それが友情じゃないでしょうか。どうもすっきりしないのです」
と言うんです。先生はそれを聞くと、もっともだと思って、緊急に一時間目を変
更して、クラス全体で話し合いをしました。

ところが皆は、何もあと三日になって、今さら無理だよ、もう遅いよと反対意見
がたくさん出ました。その時女の子が言いました。「ねえねえ、みんな一寸聞い
てよ。私達卒業してクラス会をやった時、その想い出に、星野君の応援で優勝し
たねと話すのと、たとえビリになったとしても、みんなで一生懸命やったねと話
すのとどっちがいいと思う」
男の子が、「もういいよ、仕方がないよ」と言いましたら、又別の子が手を挙げ
て「みんな一寸待てよ。俺達まだ肝心の星野君の意見を聞いてないじゃないか。
彼の気持ちを聞いてみようよ」と言いました。そうだ、そうだと聞いてみました
ら、星野君は「僕は一緒にやりたい」と言いました。一瞬みんなシ―ンとなりま
した。ビリ決定の瞬間です。
又別の男の子が「本人がやりたいと言うのならやろうよ。ビリでもいい。友情で
一位になればいいじゃないか」と言いました。そこで37人全員の意見を聞きま
したら、全員一致でやろう、やろうとなったのです。

それから残りの3日間、明るく練習して試合当日になりました。星野君も猛練習
の結果、ようやく5回まで跳べるようになりました。
いよいよ本番、ヨ―イドン、5クラス一斉に跳び始めました。担任の先生は5回
までしか出来ないと知ってますから、ハラハラしながら見てました。1回、2回
、3回、4回、5回、やったと思った瞬間、6回,7回,8回と星野君が泣きな
がら一生懸命に跳んでいる。みんなも涙を一杯溜めながら跳んでいる。11回、
12回、13回目に、遂に星野君の足に縄がひっかかった。みんな一斉にわあっ
と大喜びの声をあげた。事情を知らない他の人は「なんだ、あいつら13回で失
敗してるのに、何であんなに喜ぶのだろう」と呆気にとられていました。

3分跳んで、2分休憩、更に第2回が3分のル―ルです。後半は何と53回跳び
ました。通算で66回です。勿論順位は最下位です。然し37人全員で、わあわ
あと感動の涙を流しながら、肩を抱き合って泣いてます。感動して泣くという経
験が今の子には無いのです。そこで先生はこの感激を早速作文に書かせました。
私はその文集を読ませて貰いました。
ある女の子は「今の世の中で人間は信用できないと思っていたけど、私はこの経
験で、人間は信用できるものだと思いました」
男の子は「こういうクラスで来年も又1年やりたい、できれば、社会に出てもこ
ういう友情を持てる仲間と一緒にやっていけたらいいな」と書いてました。

私は星野君が何と書いてあるかと、興味を持って探しましたら、ありました。
しかも、たった一行「俺は良くやったと思う」
でも、このたった一行にどれだけの思いがこめられているのでしょうか。
かって前のオリンピックで、マラソンの有森裕子が「私を褒めてやりたい」と言
いましたが、おそらく星野君もきっと「俺にもやれたんだ」という自信を掴んだ
のかも知れないと思います。
それと同時に、みんなもよくやってくれたなと、友情に感謝する気持ちもおきて
きたと思います。

やがてこのクラスは3年に進み、それぞれ5つのクラスに分かれていきましたが
、友達を大事にしょう、友達で悩みを語り合おう、友達で力を合わせよう、友達
で助け合おうと、5クラスでよい友達ができて、みんな希望を胸に抱いて卒業し
ていったということです。

子供が駄目なのではない。どうやって友達がつくれるか、その環境を作っていく
かを、考えることが大事だと思います。

2.今の子供達に話し合いがたりません。話し合って、話し合っていったならば
、この話のように、一度は星野君を抜きにして勝とうと決めたことが、その結果
、一転して一緒にやろうという友情となっていったではありませんか。この場合
でも担任の国語の先生は、他の数学の先生と、更に理科の先生にも協力してもら
って、通算3時間の話し合いの時間を作ったのです。

学校だけではありません。家庭でも対話の時間が非常に少なくなってます。共働
きとか、いろいろと事情はありましょうが、やはり作る努力を親がして貰いたい
と思います。特に大事なのは夕食の一家談らんの時にすることです。そしてやは
りお父さんが中心になって、会話のリ―ドをしてもらいたいのです。お父さんが
黙って、しかもブスッとしていると不吉ですね。
三重県の高校生に先生が今望むことを書いてみろと言ったら、「父よ何か言って
くれ。そして母よ、ガミガミと何も言わないでくれ」と書いたそうです。

3.次に何かできることが少ない。砂遊びでも、木登りでも何でもいい、何か自
信のある子は、元気で問題はない。反対にその自信の無い子はどうしても暗くな
る傾向がある。
4.同時にものを作る力を身につけさせること。できるだけ刃物を使わせること
。刃物に慣れてくると自信がついてくる。ものを切る、削る能力が身につくと自
信がわいてくる。小学生の3,4年になったら果物ナイフ、又は包丁で梨の皮剥
きをさせる。中、高生になったらリンゴの薄い皮を剥けるようになる。
「手先は頭脳の出張所」という言葉があるが、手先を使いこなすということは、
頭脳の発達に大いによい影響を与えるのです。

仲間とのコンパなどで「よし俺が剥いてやろう」とリンゴや梨を器用に剥いたり
すると、忽ち人気者になる。最後に残った一つとか二つは中々手が出ないものだ
が、剥いてくれた君のものだと、みんなが認めて堂々と食べられるだろう。

人と人とのつきあい方にしても、家庭でお早うとか、有難うとかが自然にやりと
りされていると、子供もそれが身についてくる。
お父さんが会社から疲れて帰ってきた時、お母さんが子供達に「さあ、お父さん
がお疲れだから、お風呂を沸かして、入ってもらいましょうね」と子供達と一緒
に何かするということが大事なのだ。それをお父さんが帰ってきて「ああ、今日
は大変だった。疲れたよ」と言った時「あらそう、それじゃもう寝たら」なんて
ぶっきらぼうに言うようでは、もうおしまいだ。いい子供が育つわけはない。

お茶を持ってきてくれた時、お父さんが、お母さんに有難うとお礼を言う。そん
な当たり前のことが自然にやりとりできる家庭でありたい。

かって宮崎の日向で、小学生の男の子供が道でお婆ちゃんに、お早うと挨拶して
「今日はいつものお爺ちゃんはどうしたの」と聞いたそうです。それだけでその
お婆ちゃんは涙ぐんで「ああ、お早う。良く気がついたね。実は2か月前にお爺
ちゃんは病気で亡くなったのよ。それで淋しくて一人で散歩してるのよ。もう早
く死んでしまいたいくらいなの」
そうしたらその子供が「お婆ちゃん、死んだらだめだよ。絶対にだめだよ。元気
だしてね」と言って、丁度学校のチャイムが鳴ったのでそのまま走って行きまし
た。

お婆ちゃんは感激して、こんな優しい子供がいると新聞社に投書しました。新聞
社はすぐコラム欄に書きました。それを読んだ先生が、早速子供達に聞いてみた
ら、僕かも知れないという子供がいました。そこでお婆ちゃんを車で迎えに行っ
て、学校に来てもらったら、「ああ、この子供です。坊や有難う、おかげで元気
が出てきたよ」と抱きついてお礼を言いました。

先生達も喜んで、学校でもワッペンを作って、その子供を表彰しました。
それからは大変でした。他の子供達が一斉にお年寄りに親切にし始めました。
お婆ちゃんを見つけては、飛んで行って「荷物を持ちましょう」。お爺ちゃんの
手を引いて道を渡るようになる。
そこで先生達はみんなに「これからはワッペンはあげられないけど、お年寄りに
はみんなで親切にしてあげましょうね」と話したそうです。

その校長先生が言ってました。子供が悪いのではない。親が先ず見本を示すのが
先です。親が変われば、ちゃんと子供も見習って自然に変わってくるのです。
お互いに頑張って、明るい日本を取り返しましょう。

************************************************************************
[63]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.05.09
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 63 号】
┗┷┷┛==============================================================

●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.62---
[一念一行] ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀
------------------------------------------------------------------------

一念を持ち、それを実現すべくひたすらに行じ続ける。別に大きなことことでな
くてもいい。その特徴は、人生に確かな花を咲かせてくれることは事実である。

平沢興氏(京大元総長・故人)が、かってこう言っておられました。
野口英世博士が麻痺狂病原体を発見した時の話である。
彼は麻痺狂の脳について、一万枚の顕微鏡標本を作った。二百枚を一組として五
十組の標本である。これを二人の助手と片っ端から、検査した。
しかし、最後の一組になっても、めざす病原体は見つからなかった。

彼は二人の助手が昼のうちに検査したが無駄に終わったという最後の一組の標本
を家に持ち帰り、夜を徹して検鏡した。

そして明け方になって、ついに九千九百九十五枚目の標本に、探す病原体を見出
した。その瞬間、野口英世はカッポレを踊りだし、見ていた妻は野口の気が触れ
たのではないかと思ったという。

一万枚の標本を仮に作っても、普通の人なら、五,六千も標本を見て、探すもの
が無ければ、それで諦めてしまうだろう。野口は文字通り、最後まで一枚もゆる
がせにせず、検査した。野口博士の一念一行のすさまじさを物語るエピソ―ドで
ある。

これは電灯を発明した時の、アメリカの発明王といわれるエヂソンにも同様なエ
ピソ―ドが残っている。

最初は糸から作ったフィラメントでやったが、僅かな時間しか保つことができな
かった。それから彼は世界中から、ありとあらゆる材料を取り寄せ、片っ端から
フィラメント化する作業に没頭した。然し来る日も来る日も失敗、失敗の連続で
ある。でも彼は諦めなかった。ついに日本から取り寄せた竹から、フィラメント
化したきっかけを掴むことができた。

「天才とは、1パ―セントのインスピィレ―ションと、99パ―セントの汗から
生まれる」という有名な言葉を残しているが、まさにそれは自分の一生を振りか
えって滲みでてきた言葉だと思う。

陶工、柿右衛門が秋の日に輝く柿の色に魅せられて、その色を出すまでの血の滲
むような努力のことも一念一行であろう。

大分県の耶馬渓の名勝の一つである、青の洞門も、18世紀の中ごろ、僧、禅海
が鎧渡しと呼ばれていた難所に独力で、1735年(享保20年)開削を始め、
16年の歳月を要して、1750年(寛延3年)に開通したという。(豊前志)
まさに想像を絶する偉業である。

こういった先人の固い信念と、一筋に文字通り命をかけて成し遂げてくれたお陰
で今日があるのだと、心から深く感謝するべきだと思う。


************************************************************************
[64]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.05.16
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 64 号】
┗┷┷┛==============================================================

●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.64---
テレビ寺子屋 「いのち」の大切さをどう教えるか 教育評論家 坂本光男先生
------------------------------------------------------------------------

中学校の教諭を28年間経験して言えることは、中学生は一番伸びる時であり、
反面一番心が揺れる時、又性に目覚める時でもある。非常に難しい問題を抱えて
いる。戦後、第一のピ―ク、第二、第三と言われ、今第四に入っているのだが、
私が勤めたのはは第二のピ―クと言われた60年代後半からでした。

以前は非行だとか、成績だとか、問題児の原因が割と掴みやすかった。ところが
現在はごく普通の子、成績のいい子、素直な子がある日突然変異するというので
、なかなか厄介である。

どうも物と金とで何とかしょうという風潮があるような気がしてならない。子育
てに手をかけると、決してその子は忘れないものだ。そこをもう一回見つめ直せ
ば何とかなるものだ。手をかけた子ほど、後年のクラス会の時に、駆けよってく
る。家出、タバコ、暴力等で散々手を焼いた子ほど、よく覚えている。
子育てには、手遅れはない、誰にでも可能性があると、いつも言っている。

今、殺傷、いじめ、自殺等々が大きな社会問題となって騒がれているが、この頃
の子供達がいのちの大切さを本当に判っているのだろうか、逆に言えば、大人達
がそれをどうやって教えているだろうかということを、みんなで考えてみなけれ
ばいけないと思う。

私が小学校の教師をやっていた時、悲しい事に出会いました。6年生の男の子が
、学校の正門の前で大型トラックに、頭を割られて即死です。小坂君がやられた
というので、みんなが裸足でとびだした。でももう遅かった。アスファルトの上
に横たわって、脳みそがこぼれ出ているのです。それ救急車だ、家族に連絡しょ
うと大騒ぎになりました。たまたま、小坂君のお父さんが、近くの交番に勤務し
ているお巡りさんだったので、すぐ連絡がついて走ってやってきたが、もう手遅
れです。

その時お父さんは、「誰か包帯を持ってませんか」と叫びましたが、誰も持って
ません。辛うじてハンカチや手ぬぐいを差し出しました。するとお父さんは、ぐ
っとわが子を抱きかかえて、しっかりしろと叫びながら、誰が見てももう助から
ない、駄目だと思われる息子の二つに割れた頭の中に、地面に散らばっている脳
みそを、必死になって掻き集めて、夢中になって押し込んで、その上からハンカ
チや手ぬぐいを、ぐるぐる巻きつけているのです。誰が見てももう駄目だとわか
つているのに、夢中になってやっているのです。

その悲惨な光景を目の当たりにして、ショックを受けると同時に、いのちという
ものは、一度失ったら、もう二度と戻らない。誰がどんなことをしても、戻らな
い、と同時にいのちというものは、本人だけのものじゃない。
いのちというものは、両親、先生、友達みんなのお陰で生かされている大事なも
のだということを、子供に教えなければいけないとしみじみと感じました。
だから、子供達にこの話をする時に、一つのヒントがある。
子供達には身近な事実をもって教えなければいけない。すると感想文に子供達は
こう書いてある。
「もう一回人のいのちの大切さを考えてみたい」

小学校4年の男の子が作文に書いている。昨日学校から帰ってきたら、妹が「お
兄ちゃん、兎の次郎が死んだよ」「えっ、そんな馬鹿なこと」と信じられなかっ
た。お母さんが可哀想に思って、柿の木の根元に死んだ兎を埋めてました。僕は
夢中になって掘り返しました。やがて目が見えてきました。でも目をつぶってま
す。やっと掘り返して、心臓を触ってみたら、止まっている。ああ、やっぱり次
郎は死んだのだと判って、急に悲しくなってわぁっと泣きました。とても可愛が
っていたのに。もう二度と兎を飼いません。今度は犬を飼います。

ペットをポイと捨てる。残酷な行動をする子供もいるが、少なくともペットの死
を哀れむ、こういった子供にはそんなことはないと思う。お年寄りが亡くなる。
子供にとっては怖いかも知れないが、可愛がってくれたお爺ちゃんが亡くなった
のだと、涙を流すという悲しみ。こういうことを実感で教えるべきだ。

俺のいのちは俺のものだ。バイクで暴れる、ナイフで苛める、あげくの果てには
殺人を犯す、こんな子供達にもっともっと、いのちの大切さを真剣に教えてやる
のは、大人の責任だ。

岩手県の花巻の中学に講演に行った時のことです。終わって校長先生と話してい
る所に、中三の担任の先生がやってきて、涙を一杯溜めながら話してくれました

うちのクラスの向井君が心臓が悪くて、いよいよ手術をするために6月に入院と
いうことになりました。吹奏楽部に所属していて、合唱の指揮のとても上手な子
でした。入院の日が来て、みんなに送ってもらった時、「もうじき合唱祭がある
から、必ずそれまでに元気になって帰ってくるから、みんなよく練習していてく
れよな」と言って入院したのだが、残念ながら経過が良くなく、亡くなった。

先生は、今向井君のお母さんから、向井君が亡くなったという連絡があったが、
あれほど熱心にやってくれていたのだから、彼が楽しみにしていた合唱祭で、頑
張ろうじゃないかと提言した。クラスの子供達は早速その日の放課後1時間半、
話し合いをした。指揮は向井君と一番仲のよかった子が、「ぜひ僕にやらせてく
れ」と申し出て、みんなの了承を得た。

曲目も「友よ、北の空へ」と決まった。向井君への友情からだ。それからみんな
の死に物狂いの練習が始まった。朝礼の前、いわゆる朝練だ。昼は弁当の時間を
切り詰めて練習。夕方は放課後に又練習だ。誰からも言われずに、又誰一人文句
を言わずに、全員一生懸命に、向井君のいのちを大事にしょうを、合言葉に必死
になって練習に励んだ。

いよいよ本番の日がやってきた。控えの間で待っている時に、女の子達が泣きだ
した。どうしたのかと思ったら、男の子が向井君の大きな写真を額縁に入れて、
一緒に歌うのだと持ってきたからだ。あんなに練習してきたのに、ここで泣いた
ら困る。指揮者が「みんな泣いてる場合じゃないだろう、向井君のためにも歌う
んだ」と言った。気を取り直して懸命に、そして泣きながら、力一杯歌った。聴
衆は、どうしてあんなに泣きながら、大きな声が出るのだろうと不思議に思った
。三年生のみんなは知っていた。みんな心から応援した。そして優勝した。

その後みんなは「一度しかないいのちを大事にしよう」を子供達がみんなに呼び
かけているのです。そしてそれを合言葉に勉強に打ち込んで、卒業の時を迎えた

先生も、これだけみんなに力を付けてくれた向井君に、何かプレゼントをしたい
と考えて、卒業式の一週間前に校長室に行き、校長先生にお願いをした。
「あの子供達の心に答えて、前例はないのですが、特例として卒業式の時に、向
井君の名前を呼ばせて欲しい」ということでした。校長先生は暫く考えていまし
たが、「よし、わかった。いいだろう」と言ってくれました。

卒業式の日がやってきました。彼の座席はありません。卒業詔書もありません。
やがて、担任の先生が19番目に「向井宏」と、名前を呼びました。すると、何
の打ち合わせもしてなかったのに、クラス全員が一斉に「ハイ」と答えたのです

みんなに、いのちの大切さ、友達や、人間一人一人の大切さがよくわかりました
。普段の事実が無くて、ただ口だけでは駄目だ。

私は、担任の先生にその卒業式の時のみんなの写真が、ピアノの上に飾ってある
のを見せてもらいました。一緒に列席していた、父兄達が感激しました。
よ―し、わが子にもいのちの大事をわからせようと語りあったそうです。

だがここで一つ大事なことがある。それは自分が大事なのだということが、判ら
ない限り、他人のいのちの大事さがわからないということだ。
自分にもいいところがあるのだ。すばらしいところがあるという意識が無い限り
、無理だろう。まして、俺なんか駄目だ、どうなってもいいんだというのでは、
お話しにならない。自分が大事だということを、先ず教えなければいけない。

この島田君は平均点が20点なんですが、お前も頑張れよと言うと、自分で僕は
脳みそが足りないんだ、と言うんです。そんなことはないと、否定すると、遺伝
だと言い張る。そんな馬鹿なことはないと言うと、いや、先祖代々そうだと主張
する始末です。

そこで私は、生徒の一人一人の長所、得意な点を三つ探しだして、紙に書いて壁
に張り出すことにしたのです。
例えば島田君は、1.友達が多い。2.マラソンでたとえ順位は遅くても、必ず
完走する。3.後片づけをキチンとやる。
しかもその各人の認定を、クラスの友達がみんなで話し合って決めるのだ。
そうしたら、だんだん明るくなってきたのです。休み時間になったらこの張り紙
の前にきて、じっと見ているのです。
友達が多いというのは、何か役に立つのですかと聞くので、それはすばらしいこ
とだ。何でもわからないことは友達に聞けばいい。なんでも教えてくれる、宝物
を君は一番多く持っているんだと励ます。

マラソンで完走できるのは、粘り強いという、すばらしい天分だからと繰り返し
、繰り返し言って聞かせました。

後片づけがうまいということは、ケジメがつくといういいことだ。すばらしいこ
とだと言って聞かせました。

その結果彼はだんだん明るくなり、人を叩かなくなる。平均点も55点になり、
公立高校に進むこともできた。卒業後、トラックの運転手になり、真面目な働き
ぶりを社長に認められ、23才で大型免許が取れて、1か月20万以上稼げるよ
うになりましたと報告に来たので、私は寿司をとって祝杯を挙げました。

お祝いにプレ―トをプレゼントしました。「関東太郎」とか「大利根一家」大き
く書いて運転台の上にかざってあるやつです。結構高いものです。38万もする
のです。私は一番安い8万円の銀メッキのにしました。そして「いつでも努力を
」と書いてやりましたら、喜ばなかったですね。さすがにこんなマジなのはない
よと言われ、結局「銀河鉄道」と書いてやりました。今年の3月にやはり社長の
推薦で、観光バスの運転手になり、元気に働いてます。大事そして私に、彼は言
うのです。「つくづく人間にはクズはないのだなと思いました。これも、みんな
が私の美点を認めてくれたあの張り紙を見て、自分が大事だと感じた時からです

ところがその父親がいけません。言えにもこの紙を張ったら、友達が多いと遊ん
でばかりいる。マラソンじゃ飯が食えん。後片づけといったって、部分的にそこ
が奇麗になるだけのことじゃないかと、否定的にばかりとってました。これじゃ
話にもなりません。私がやったように、みんなで肯定的にフォロ―するべきです

お父さんが子供の良いところを、見つけて励ましてあげて下さい。自分が大事じ
ゃないと、人を大事にしない。何よりも自分を好きにならなければ、人を好きに
なることはできない。

別の事例で、塩谷さんという女の子は、1.とても手先が器用だ。2.笑い声が
大きい。3.よく気がつく。とみんなから書かれてましたが、やがて卒業してか
ら、看護婦さんになりました。患者さんから、とても親切で、優しいし、明るい
笑い声で病室の雰囲気がとても明るくなり、感謝されているそうです。

それが今の日本を見渡すと、成績が良くない、早くしなさい、もっと強くなりな
さいとか、頭からガミガミ言ってるばかりで、世の中間違っているのではないか
と思う。
もっともっと、優しい心を持って、人の役に立つ人間が多くなってもらいたいと
思います。

鹿児島のある中学校で生徒に講演して、校長室に戻ってきたら、そこへ突っ張り
の男の子がやってきて、握手をして貰いたいと言うのです。わけを聞いてみまし
たら、「人間にはクズがないと言うのが、気にいった」というのです。やっぱり
誰でも自分を認めてもらいたいのです。

大人達が大事だ。北海道の宗谷でこんな話を聞きました。
そこでは、大人が町の子供達にこちらの方から「寒くなったぞ」「しばれるから
な」「風邪をひくなよ」と折にふれて声をかけていたそうです。

やがて卒業式に子供達が「僕達は、地域の皆さんに大切にされて、お陰で無事学
校を卒業することができました。これからは、きっと地域の人の役に立つ人にな
りたいと思います」と挨拶をしました。

この頃は親が余り子供を褒めないが、これを改めなければいけない。指導するこ
との第一歩は褒めること、励ますことからです。但し、0点では褒められない。
いいよ、どこが間違ってたのかな。この次、頑張ったらきっともっと伸びるよ。
と励ますのです。
じっとしていては、褒める場所が見つからない。掃除、いろんな手伝い、活動を
通じて見つけて、認める努力をしてもらいたい。

夫婦も勿論お互いに良い点を三つ探して、張り紙をしてみたらいかがでしょう。

************************************************************************
[65]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.05.23
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 65 号】
┗┷┷┛==============================================================

●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.65---
テレビ寺子屋 「夢に向かって」 元ラグビ―日本代表 大八木 淳史先生
------------------------------------------------------------------------

身長 190センチ、体重 115キロ、足のサイズ 32センチの巨漢です。
1961年京都生まれ。父親は大工をしており、母は和服の内職をしていた。

幼稚園の年少と年長の2年間で、通園したのは通算7,8ケ月位で、あとは、あ
りとあらゆる病気をして、ほとんど家で寝てばかりでした。

丁度、年長組の11月頃のことでした。脳みその一番てっぺんの所に、血の固ま
りができて、毎日40度の高熱がでる病気になりました。その頃、父親が毎日弁
当箱と水筒を持って、仕事の現場に出かけてました。そして帰りに必ず冷やし飴
と、氷を買ってきてくれました。

その頃の記憶といえば、父親が流しに立って、氷をかち割って氷のうに入れて頭
を冷やしてくれた姿と、黙々と着物を縫い続ける母親の後ろ姿だけです。

40度以上も熱が出ると、天井がグルグルと回り出して、とても怖かった。
それがもう少しひどくなると、今度はその天井が上から降りてきて、押し潰され
るような圧迫感に、思わずわっと叫びだしたくなる位でした。

目を開けて布団をかぶっていたある日のことでした。ふと気がつくと右の鼻の奥
の方に鼻くそがつまっているような気がした。その時ふと、なぜかこの鼻くそを
とると、気分が楽になるというような気がした。そこでかなり奥の方につまって
いたのだが、苦労してやっとそれをほじくり出した。と同時に鼻血がどっと噴き
出した。なかなか止まらない。慌てて起き上がって母親を呼んだ。鼻血はそのま
ま、掛け布団の三分の一ほどを真っ赤に染める位出た。赤ちんを一滴目にさした
ように、目の前がボッ―とピンク色に見えるような気がしました。

びっくりした母親が急いで診療所の先生を呼んできてくれた。先生がすぐ注射の
準備をし始めたのはいいのだが、以前に神経をやられていて、手がブルブル震え
ているのが、とても不気味に思えたのが、今でもはっきりと覚えている。
然し、その結果どうやら収まった。

その時、先生が「よかった、よかった。ずっとお父さん、お母さんがずっと24
時間中、冷やしてくれたお陰で、頭の中の血が固まらずにいて、鼻血と一緒に出
尽くしたようで、これでよくなるぞ」と言ってくれたが、その通りにそれ以来、
熱も下がって、病気がなおった。それから以後、せいぜい風邪を引くくらいで、
あとは今日まで元気に、病気知らずに過ごしている。その先生はもう亡くなった
が、私は幼い頃、ずっと病気ばかりしたおかげで、今の元気があるのだと感謝し
ている。

考えてみれば、子供を育てなければいけない。自分の時間、言いかえれば自分の
命を削ってでも、何とか子供を直そうという両親の願いが命を救ってくれたのだ
と思う。この頃の幼児虐待を考えてみると、何かが足りないのじゃないだろうか

それは親子の絆というものです。今、絆といえばわからない人もいるかも知れま
せん。先日中学生に講演していて、黒板にこの字を書いて、これが大事だと言っ
たら「先生、いとはんて何や」と聞かれる始末です。

絆とは何かというと、コミュニケ―ションの距離といえるのではないかと思いま
す。親子、夫婦、先生と生徒、職場で言えば上司と部下、監督と選手との間の人
間関係の度合いとか、距離と言ってもいいと思う。これが遠い、近い、太い、短
いで変わってくると思います。

私はオ―トバイが好きでよく乗りますが、雨の日にはを、風の日には風を、田園
を飛ばせば肥料の匂いや、花の匂いを感じます。ラグビ―は勿論、雨の日もやり
ます。いやむしろ、雨の日の方が練習時間が長いくらいです。そんな時に、五感
に感ずることを避けるのが人間関係に影響を及ぼすのです。
今話題になっている女子マラソンの高橋選手の小出監督は、常に彼女を褒めたそ
うです。そして君ならきっとできると励ましたそうです。

私を、初めてラグビ―と結び付けてくれた山口良次先生も、今思えば小出監督と
そっくりです。
高校の時、初めてラグビ―に出会った。それまでは、15人でやるらしい、とい
うこと位しか知識がなかったのだが、入試の時、いきなり「お前、絶対ラグビ―
せいよ」と言われた。そしたら自然に「はい、やります」と答えました。
そして体育教官室で「これがラグビ―ボ―ルだ」と初めてボ―ルを手に触らせて
くれて、「お前はきっと日本を代表する選手になる。そして、お前が日本代表に
なった頃には、きっと世界の強豪といわれる、ニュ―ジランド、オ―ストラリヤ
、イギリスの選手と堂々と戦えるいい選手になれる」とまだ会って数時間しか経
たない私に話しかけてくれました。
それから後も、折にふれ、現在の世界の状況を、いろいろと話してくれました。
絶えず励ましてくれて、夢を与えてくれました。そのお陰で私の今日があると思
っております。

多分小出監督も、そうして彼女を褒めたと思います。そしてきっとオリンピック
で優勝できると、具体的に夢を与えていたに違いありません。

どうぞ皆さんも子供を褒めて上げて下さい。そして認めて、夢を与えて下さい。
大人はすぐ、こんなことは不可能だ、私には無理だ。きっとできるわけがないと
最初から頭で考えてしまうから、すぐ諦めて駄目になるのだ。

その点、子供がバットやグロ―ブを持った時は、頭の中には、もう自分がイチロ
―や、松坂になったつもりでやってるわけです。一つのことに打ち込んでやれば
、きっと何でもやれるのだと、励まし、褒めてやってほしいと思います。

************************************************************************
[66]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.05.30
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 66 号】
┗┷┷┛==============================================================

●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.66---
[楽訓について] ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀
------------------------------------------------------------------------

立春を過ぎて、思いなしか、陽差しが柔らかく感ずるような気がします。梅の蕾
がすっかりほころんで、やはり自然は正直だなあとしみじみ思います。

先日、無能唱元という方の書かれたものを読みました。
その中で、「養生訓」で世に知られた貝原益軒が、養生訓より三年前に出版した
「楽訓」という本について、非常に興味深い内容を紹介されてましたので、皆さ
んにもご紹介したいと思います。

無能唱元氏が非常に驚いたのは、氏が年来考えてきた「人生楽すること肯定論」
が益軒先生の考え方に近かったということだったそうです。

氏は、何年か前に「楽する人」という「人生の成功と幸福とは、楽するところに
こそあり」を主張した本を出版した。

では、「楽訓」のどういう点が、氏を素晴らしいと感嘆させたのでしょうか。
それは「楽訓」がこの時代にあっては珍しく「プラス思考」の書だということで
す。いや、これは、この本が書かれた江戸時代ばかりではない。結構、現代でも
「マイナス思考」の人は随分と沢山居ます。

こういう人は一口に言えば「苦しみ礼賛型」の人間なのです。刻苦精励を称える
あまり「苦」そのものをもって尊し、としてしまった人達です。益軒はこういう
考え方を否定しているのです。

たとえば、古い諺に「長生きすれば、恥じ多し」という言葉があります。
益軒はこれを真っ向から否定し「長生きすれば、楽多く、益多し」と言っている
のです。

「長生きすれば、楽多く、また利益も多いものである。日ごとに、今まで知らな
かったことを知って行くし、月ごとに今までに出来なかったことが出来て行く。
だから、学問の進歩も知識の発達も、長生きしなければ、なかなか得られるもの
ではない」

そして彼は「老いの楽しみ」というものを主張するのです。事実、益軒自身、八
十才頃に至って、沢山の本を出版している。

「白楽天(唐の詩人)の詩に曰く、自延年(自分の時間を延ばす)の術あり。心
閑かなれば歳月長し」更に又「このようにして暮らせば、一日は延びて二倍にな
る。こう勘定すれば、人生を七十年とすれば、寿命は百四十年にもなるわけであ
る」と言っているのです。

「楽しみには三つある」と益軒は言います。

その一は「自分の気を養うこと」。こんにちの言葉で言えば「愉快になること」
がこれに当たりましょう。音楽や酒を楽しむことがそれで、これは「身を保つ」
ために必要で、故に、これを「身持ち」のための楽しみとします。

その二は「財産や親切を人に施す」楽しみで、自分の心を軽くする故に「心持ち
」の楽しみとします。

その三は「山水を愛で、読書の悦びに浸る」楽しみで、これは我を忘れるほどの
楽しみである故に、これを「忘我」の楽しみであると言ってます。

人生の楽しみとは、この三つをもって要約することができる、と益軒はさらりと
言ってのけるのです。

「清福ということがある。楽しみを好む人は必ずこれを知っていなければいけな
い。これは識者の楽しむところで、俗人は知らない。だから、わが身に清福を得
て大きい幸福があるのに、これを知って楽しんでいる人はまれである。
貧賎で、世に認められなくても、その身が気楽で、静かで、心に憂いがなければ
、これを清福という。清福は余暇があって、身が気楽で、貧賎でも心配のないの
をいう」

考えてみれば、益軒自身が功なり名遂げた大成功者なのです。ただ面白いのは、
彼の大成功はかなり晩年になってからのことなのです。それも八十才という当時
とすれば老境と言ってもいい年令でした。

彼はそれまでずっと「損軒」と名のっていたのです。どうも推察するに、益軒は
無欲清貧、聖人の心境に憧れていたのではないでしょうか。この「損」を「益」
に改名してから、彼の著書は大ヒットし、空前のベストセラ―になったのです。

つまり、益軒も世の俗人と同じく、自分を世に売り出さんとして、さまざまな工
夫、才覚を重ねていたのではないかと推察されるのです。

然しながら、八十も近い晩年になって、彼は大きな悟りを得た。その悟りとは彼
一流の「楽しみの悟り」です。

「人生の幸福とは、結局、人生そのものを楽しむところにこそある」という悟り
は、彼の考えをプラス思考に変え、そして、そのプラス思考は、彼の人生そのも
のを、プラス、すなわち大成功に変えたのではないでしようか。

この意味で、彼は幸せな心境を得た後に(あるいは、その故に)幸せな生活を得
たのだと言えるのではないでしょうか。これは「心主体従」の原理を表したもの
です。

「心が楽しみに満つる時、その人の体に幸福が訪れる」という真理を、益軒は身
をもって世に示した、と言えるのではないでしょうか。

「心の楽しみを助長させることは、生命の源である元気を養うことに他ならない
」これが、益軒の言わんとする根本の原理です。

益軒は言います。
「然し、人には無限の楽しみがすでに備わっているのに、学ばないとそれが自分
のものになっていながら解らないのだ。私などは、才もなく、徳もなく、君を助
け民を救う仕事もしていないのに、一歩の田も作らず、一本の麻も植えないで、
十分に食事をし、暖かい衣服を着、家に居て風雨に侵されない、これは大きな幸
いである。
古い言葉に、上に比ぶれば足らざれども、下に比ぶれば余りあり、とある。これ
を忘れないで、わが身を楽しむべきだ」

この言葉から解るように、益軒の言わんとする「楽しみ」とは、それを追及する
というよりも、今ここにある幸いに気付くところにこそあるようです。
========================================================================
IA magazine 素晴らしい人生のために 毎週水曜日発行(週刊誌) No.66

発行■インプットアルファ http://www.futaba.ne.jp/~ko-ko/index.html
責任■小林 高一 ko-ko@futaba.ne.jp
執筆■ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀 LDJ04070@nifty.ne.jp
配信■まぐまぐ 0000026706 http://www.mag2.com/

Copyright(C) 2000-2001 Toyohide Nakamura All rights reserved. 無断転載禁
========================================================================

トップページに戻る  メールマガジン一覧表に戻る  次の号を見る 前の号を見る