INPUT ALPHA メールマガジン

素晴らしい人生のために/今日の応援歌
<<<< バックナンバー のページ >>>>
[67] [68] [69] [70]  2001年 6月発行分    

[67]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.06.06
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 67 号】
┗┷┷┛==============================================================

●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。

ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.67---
テレビ寺子屋 [過保護の勧め] 青少年育成コ―ディネ―タ― 伊藤 幸弘先生
------------------------------------------------------------------------

若い頃、非行に走り、少年院を出て、やがて1万5千人の暴走族の総長を勤め、
父親の死によって更生し、現在は非行に走った子供達の気持ちを本当に理解して
その更生の為に活躍している、伊藤幸弘氏のお話をご紹介します。
「僕達はいらない人間ですか」少年院からの手紙 扶桑社 という本を書いてお
られます。少年の心を傷つけた、心ない胸にぐさっと突き刺さった言葉などが多
く紹介されている本です。非行の世界がどんなに大変なものか、又逆にこれを読
んで、立ち直った子供達も多くいる本です。 中村 豊秀

「過保護の勧め、どんな子供でもいらない子供はいない」

とてもいい子供だったのが、思春期になって、急に不良になったとか言って、慌
てている親がたくさん居る。小学生の時はとてもいい子供だったのが中学生にな
って急に悪くなったというが、そんなことはまずない。今までも親の見えないと
ころで悪さをしているものだ。小さい時はいい子を演じていたのだ。小さい時の
過干渉が原因で思春期になると問題児や、非行に走ったりすることが多いのだ。
親の要求を無意識の内に押しつけているのだ。やってはいけない、こうしなさい
と子供の前にレ―ルを敷いて、親のものにしていく。毎日指示を出していないと
、子供はどうしたらいいか判らなくなる。これがいわゆる指示待ち人間となるの
だ。
真面目な子供に多い。親の都合で、自分の要求が聞かれないという欲求不満がだ
んだん溜まってくる。不まじめな子は途中で反発する。

一方、これと反対に、過保護というのがある。一般に過保護はよくない、それが
原因でわがままになったり、非行に走ったりすると言われているが、私は反対に
、むしろ幼児期の過保護は必要であると信じて勧めている位である。

親の都合で保育園に預けている子供を迎えに行ったお母さんが、ぐっと子供を抱
き締めて「一日寂しかったでしょう、遅くなってごめんね」と心から詫びるとい
うことが大切なのである。そして一緒に手をつないで帰ってくる。そういったこ
とが親子のきずなを作るのに非常に大事なことなのだ。

そんな時、もしポテトチップとかチョコを買ってくれと言われたら、買ってあげ
たらいい。それを、ただ「駄目」と拒否するだけではいけないのだ。親としては
、もったいない、家に帰ってからとか、理由があるとしても、幼児には判らない
のだ。何故いけないのか具体的にそれが伝わらないのだ。反対にケチだとか、い
じわるだとしか受け取らない。

お菓子を少しづつ食べては、そのままにしておく子供がいるとしたら、一週間の
残りものの袋を集めて、古いものもおいしいよ、このまま捨てるのは可哀想だよ
、と優しく抱っこしてあげて、話して聞かせてほしい。

一日中、保育園に預けられて誰らも抱っこして貰えなくて、寂しくて寄ってくる
、そんな子供にあっちに行ってなとか、うるさがる親がいる。或いは何か話しか
けて来た時に、後でと言って、聞かない親がいる。後でとお化けは出たことはな
い。これが幼児に「親は何もこちらの言うことを聞いてくれない。母は当てにな
らない」というようにインプットされるのだ。そうやってだんだん親から離れて
いく。

19才の少女が書いた手紙がある。「小さい時、とても淋しかった。鍵っ子でい
つも一人ぽっちだった。家に帰るのが嫌になって、外をいつまでもほっつき歩い
たりした。しょっちゅうお母さんと口喧嘩ばかりしていた」小さい時から寂しく
てだんだん嫌になる。いくら可愛がったつもりでも、実際に可愛がられたことに
なってない。つまり歯車が噛み合ってないのだ。ここに問題がある。子供の非行
とは要するに感じ方次第だ。

0才から4才までは、親の保護が必要である。4才から7才までは干渉すべきだ
。幼児期の保護が足りないと夜遊びをしてきた時に言えない。幼児期には過保護
であるべきだ。そしてル―ルを踏みはずした時に過干渉すべきである。
夜遊びがなぜいけないのか。やくざや、チンピラが蠢いている夜の世界がどんな
所かを十分に説明して判らせることが必要なのだ。その時に大事なことは、判っ
ているとは思うけど、と言うような言葉を掛けながら話しかけていくことだ。こ
れは相手を認めている言葉なのだ。

非行に走った子供は、親を毛嫌いしている。ああいう親みたいにはなりたくない
。俺は真面目にいきたくない。ただうるさいだけだ。
どうも今はうるさい親ばかりで、きびしい親がいなくなった。
最初にバ―ンとやって、あとは一つ一つフォロ―することが大事だ。本人は内面
は又やっちゃったと反省しているのだ。そして部屋に帰ってきた時に、お握りと
暖かいみそ汁が用意されていたりすると、やっぱり自分はこの家に戻ってきてよ
かった。これが本当の保護の仕方だ。外面は大人のようだが、内面は幼児なのだ
。だから人を刺しても謝らない。善悪がわからないからだ。

少年院から出した17才の少年が、母に謝っている手紙がある。
僕はお母さんにさんざん迷惑をかけた。だがごめんなさいと真剣に言ったことは
ない。格好をつけていたのです。とてもとても恥ずかしいです。今は心の底から
ごめんなさいと言いたい。十分反省してます。本当に後悔しています。これから
は自分を信じて下さい。お母さん早く貴方に会って、手をとって言いたい、只今
と。
この時にいろいろと言われたことが思いだしてくるのです。嬉しかった一言。お
前は俺の子だ。大切な俺の息子だと幼い頃、風呂の中で父の背中を流しながら言
われたことなどです。そうしたら頑張ろうという気持ちがおきてくるのです。反
対に、お前なんか生まれてこなけれゃよかった。なんて言われてたら、どうせ帰
えったって暖かく迎えてくれっこないと思ったら、帰る気がなくなるのです。

私が本をだしてすぐ16才の少女から手紙を貰いました。
「僕達はいらない人間ですか」を読んで手紙を書きました。久しぶりに声を出し
て泣きました。何でだろう。この本の中に書かれていることが、実際に過去に言
われた、「お前なんか生まれてこなけれゃよかった、施設でも少年院にでも行け
、この家の子供じゃない」というのと同じ言葉で、何度傷つけられたかを思いだ
されたからです。
私は中学の時、ありとあらゆる悪いことをしてきました。タバコ、シンナ―、暴
走族、ひったくり、売春、恐喝にひったくり、家出に窃盗とやってきました。幸
か不幸か一度もパクラレタことはなかった。せいぜい万引きで捕まったことがあ
るくらいです。そんな私でも学校は好きだったのです。学校というよりも保健室
です。こには1年から3年までの不良仲間がいるし、何よりも保健の先生は私達
のことを判ってくれたのです。

たしかにスカ―トのことや、髪の毛についてはほかの先生と同じように叱ってく
れましたが、一人一人のことをよく見てくれていた。
同じ時期に、担任はそんな奴等と付き合って何になると言ってました。そんな奴
とはどんな奴だと腹を立てたものです。大人は世間体ばかり気にしているが、仲
間は同じ傷をもっているから、本当のつきあいができる。

家に帰ったら酒とパチンコにおぼれたた母がいる。私がいなければ、あんたは幸
せかと言いたくなる。もっと私のことを気付いてほしかった。自殺を計ったこと
もある。同情してほしかった。今私は年を偽って水商売に入っているが、一人弟
がいます。弟も丁度私と同じように非行に走って鑑別所に送られたこともありま
すが、心のやさしい子で親に手を上げたことはありません。生まなきゃよかった
、生まれてこなけりゃよかったなんて言いたくない。この本を弟と母にプレゼン
トしたい。
これから先子供ができて、たとえ不良になっても私は決して母のようにはならな
い。
こう言ってる母に、この子はごめんなさいと謝って、有難うとお礼を言っている
のです。その母が今は祖母に、保険を掛けて死んでしまえと言われてます。母の
姉も同じことを言われて、自殺してしまいました。母の愛を受けてない母だから
こそ、今度は私が、その母に愛の言葉を掛けてあげたい。

実は私も、父に謝ったのです。死ぬ前にベッドの横の床に土下座をして謝りまし
た。そして今までの罪滅ぼしの意味も込めて、何か人のお役に立つことを生涯の
仕事としてやっていこうと決心したわけです。
どんな子供でも蘇ることができる。この世にいらない子供はいない。

非行の子供は自分のことを傷つけている。親しか自分のことを判ってくれない。
しかし親もそれにかかりっきりだと疲れる。その気持ちを手伝ってあげる仕事を
しているわけです。誰も悪いのではない。ただ歯車が噛み合わないだけです。
要は親と子がゆとりをもって話し合うことです。

************************************************************************
[68]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.06.13
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 68 号】
┗┷┷┛==============================================================

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.68---
テレビ寺子屋 「因縁、えにしということについて」 中山 靖雄先生
------------------------------------------------------------------------

どんな出来事にも、ものには全て原因があって結果がある。でもそこに何かの縁
があって、その結び付きがあるような気がする。これがいわゆる因縁というもの
だ。

お父さんが車を運転していて事故を起こした。それは心にイライラがあって、つ
い不注意運転をしたからだ。なぜイライラしていたのかというと、今朝出がけに
お母さんと口喧嘩をしたからだ。その原因は、子供がなかなか言うことをきかな
いということで、「お前の教育が悪いからだ」「いいえ、あなたがもっと子供の
ことに注意しないからよ」結局は子供が言うことを聞かないということが、事故
の原因だった。

3か月ほど前に出た本で「水からの伝言」という本がある。
その中で面白い実験がなされている。AとBの二つの瓶に水を入れて、それぞれ
の中にご飯を同じ分量入れておく。そして毎日Aの瓶に向かって「ありがとう」
という言葉を掛ける。そしてもう一方のBの瓶には「馬鹿野郎」と声を掛ける。

そうして1か月経って、瓶の蓋を取ってみたら、何とAの方はプ―ンといい香り
がして、白っぽい水になっている。もう一方のBの方は真っ黒な水になって腐っ
ている。びっくりする現象が起きている。

ただの水でさえ、よい言葉、悪い言葉に反応しているのだ。ましてや人間の体の
約60%は水である。お互いの交わす言葉によって、さまざまな変化が起きてい
るとは容易に考えることができる。

お父さんが折角クリスマスのプレゼントを買ってきてくれたのに「あら、これセ
ンスが悪いわね」とか「どうせなら、私は〇〇の方がよかったのに」とか、もっ
とひどいのは「お金の方がよかった」なんて、お礼を言う前に文句たらたらだ。
一体、誰のおかげで今の生活があるのだ。そんなことも考えずに、自分勝手なこ
とばかり言う人が多い。こんなことを言われたら、誰でも二度とプレゼントなん
かしたくなくなるだろう。

どんなことでもいい、他人の親切には必ず「ありがとう」とお礼を言おう。奥さ
んが作ってくれた料理に「おいしいね。ありがとう」と心から言ってごらんなさ
い。どんなに嬉しいか。また美味しい料理を作って食べてもらおうという気持ち
が湧いてくるに違いない。それを狙って言うのではない。感謝の気持ちを素直に
言葉で表すのだ。

それにひきかえ、何も言わずにただ黙々と食べてる人がいる。堪り兼ねて奥さん
が「あなた、美味しいか、不味いか位言ってよ。折角一生懸命に作ったんだから
」と言うのに、あろうことか「不味けれゃ食わない」なんて言う人もいる。
何わか言わんやである。

下関の6年生の子の作った詩がある。
「お早うと言うと目が覚める。頂きますと言うとおなかがすく。行ってきますと
言うと、元気になれる。ありがとうと言うと気持ちがいい。ごめんなさいと言う
とホッとする。お休みなさいと言うといい夢が見れる。あいさつって嬉しいな」

元気だから大きな声が出るのではない。大きな声を出すから元気になるのだ。
身近にある小さいことが回りを変えていく。

昨年7月、沖縄でサミットが開かれた。これはだれでも亡くなった小淵前総理の
沖縄に対する思い入れからということは知っていると思うが、私はまだその他に
何かがあるような気がする。
沖縄は皆さんもご存じだと思いますが、日本で唯一太平洋戦争の戦場になったと
ころです。日本全国各都道府県それぞれの慰霊塔があり、鎮魂の島であります。
この魂を鎮める沖縄の島で、勝った国と負けた国の、各国の代表が集まり、21
世紀の平和を論議するということはした、日本では一番ふさわしい所だったと思
うのですが、皆さんどうでしょうかね。

私が初めて昭和39年に沖縄に行き、ひめゆりの塔に行った時のことです。16
,7才の女学生が学徒動員で頑張っていたのですが、自決された所に慰霊の為に
建てられた塔があります。

そこに一首の歌が刻まれています。
「岩枕 固くもあらん 安らかに眠れとぞ思う 学びの友」

その時私を案内して下さった西田先生が私に「中山君、今この地の底から訴えて
くる乙女の声が聞こえるか」と聞かれました。私は「いいえ、ただお気の毒だな
と思って拝んでました」と答えて、「西田先生にはどう聞こえるのですか」とお
尋ねしました。

すると先生は「岩枕 固くともよし 日の本の国栄えるなば われは眠らん」つ
まり、たとえ岩でできた固い枕であってもいい。あとに残った祖国日本が栄えて
、平和ならば私達は静かに眠ります、というように聞こえる」とおっしゃってま
した。

私達が今日こうやって平和でいられるのは、そういった多くの皆さんの犠牲があ
つてのことだと、深く感謝するべきではないでしょうか。
われわれがここにいるという喜びを、もう一度噛みしめてみたいと思います。

************************************************************************
[69]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.06.20
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 69 号】
┗┷┷┛==============================================================

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.69---
[話し方を勉強することの重要性] 中村 豊秀
------------------------------------------------------------------------

私達がすでに、今持っている知識について考えてみたい。
勿論先ずは学校に行き、先生にいろはのいから教えてもらうことから始まるのは
当然である。だんだん長ずるに及んで、自分で考えたり、興味をもって本を読ん
だり、観察したり、実際にやってみたりして徐々にレパ―トリィを増やしていく
のだ。まさに、俗に言うところの、見たり、聞いたり、試したりである。

この根本が言葉である。われわれは言葉でものを考えているのだ。言葉がなけれ
ば考えることはできない。考える時に使う言葉を思考語という。
自分が考える時は思考語を使うが、その考えを他人に伝える時には、それを発音
、発声していかなければいけない。
その時、口から外へ出た言葉を表現語という。何だ、それは同じ言葉じゃないか
と言われるかも知れないが、実は違うのだ。勿論同じ場合もある。

例えば、常日頃、よく注意してやるんだぞと言い聞かせているにも拘らず、部下
が又同じ失敗をしたような時、思わず「何やってんだ。だからこの間から言って
るじゃないか」と頭ごなしにガミガミと文句をいったとしたらどうだろう。
おそらく、その相手は貴方に反感こそ持つだろうが、とても素直に反省などしな
いだろう。ではどうしたらいいか。感情的になった時、すぐ反射的にパッと発言
しないで、先ず、冷静になって、少し考えて欲しいのです。

話し方の原理原則であるところの「話す、と言うは違う」、「聞き手に決定権が
ある」、「肯定的な言い方」、「挨拶、返事をして人間関係がなければ、人は話
を聞こうとはしない」等々を一瞬考えて今話そうとすることを分析すると、一応
話す直前のまろやかな形になるだろう。

さあ、ところがこれが実際に話した結果、必ずしも思った通りにはなかなかいか
ない経験をお持ちではないでしょうか。相手が自分の思う通りに受け止めてくれ
なかったり、違った解釈をして反論をぶってきたり、わかってくれなかったりす
る。あるいはこちらがあがってしまって、頭の中が真っ白になってしまうとか、
がたがた体が震えて、思うことが三分の一も話せないということもあるでしょう
。これが話された内容ということになる。

このギャップを無くして、自分の思った通りに、気持ちよく相手が聞いてくれて
、初期の目的が達成できたら、どんなに人生が楽しく過ごせるだろうか。
それを研究するのが話し方の勉強である。

************************************************************************
[70]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2001.06.27
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 70 号】
┗┷┷┛==============================================================

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2001 vol.70---
テレビ寺子屋 「いのちのつながり」 中山 靖雄先生
------------------------------------------------------------------------

静岡県の磐田郡の水窪(みなくぼ)町という所は、とても水が奇麗な所で、50
年前に建てた鉄筋建ての小学校が老朽したので、今度木造で建て直すというユニ
―クなとてもいい所です。
人間はいいことをやりたいという気持ちはあるけど、感情はなかなかそうはいき
ませんね。
去年、病気をして1年間寺子屋もお休みしました。入院してたら、女房が見舞い
にくるわけです。1時間位すると、妙にソワソワして落ち着かないのです。どう
したのかと聞くと、「あのう、駐車場が・」と言うので「それがどうした」と言
うと「1時間までは只だけど、それが過ぎたら、料金がかかるのよ」「いくらか
かるの」「200円」「何だ、200円と俺とどっちが大事だ」私は腹が立ちま
した。
そこで病院の素人の川柳大会に「駐車料 計算しつつ 妻見舞い」という川柳を
作り、投書したら一席になりました。きっと病院でそんなことを考えてている人
がいっぱいいたのでしょう。

今ここにいるということは、生まれてから今日までの長い過去がある。そして今
から死ぬまでの未来がある。過去はもうどうにもならないのです。然しこれから
をどう生きるかが大事なのです。今、今、今の連続です。

「やり直しはできないけれど、出直しはできる」
でもどうしても、われわれはそこにこだわるようだ。

結婚して何年か経つと、いつしかマンネリになる。もう一度あの時の感激と思う
けど、やり直しはできない。新婚当初は、夫が遅く帰って来ても、妻は寝ないで
待っていた。そして「あら、お帰りなさい。遅かったのね、お疲れさま」「なん
だ。まだ起きててくれたのか。悪かったね。ご免よ」といたわりあってたのが、
今はどうでしょうか。「あら、あんた帰ったん」という状態だ。
一寸起きてなくてもいいけれど、せめて「お先に休ませていただきます。ごめん
なさい」と一筆書いておいたら、それが出直しではないでしょうか。
なに、そんなことをしたら、くせになるって思っているのじゃないですか。

教育というものをそんなに堅苦しく考えたくないのです。
いつでも、どこでも、誰でもできることを、ちょっぴり真心を込めてやれば、そ
の家庭はよくなっていくのではないかと思う。何か特別なことをしなくてもいい

私はよく福井県に「母の日」の講演に行きますが、どんな話をするかというと、
実は「母の日」は自分が大事ににされる日ではなくて、自分を産んで下さったお
母さん、或いはお姑さんに感謝する日なのです、ということをお話しします。
ところが、案外「母の日」というと自分が大事にされる日だと思っている人が多
いのではないでしょうかね。
前の日から、子供達に「明日は何の日か知っとるね」とか「母の日じゃなかった
かね」「明日の朝ご飯は誰が心配してくれるの」とか、請求してるお母さんが多
いようです。

講演が終わって、家に帰って来て一服して、本を読んでいたら、主催者のご婦人
から電話がかかってきました。今日は本当に有難うございました。
実は今年の母の日に、どんな話をして頂けるかと思っていたのですが、とてもい
いお話をして頂いて、本当によかったと感謝しています。
私も何か母の為にと考えたのですが、もう亡くなってますので、せめてその母に
感謝の気持ちをと思って、お墓参りに行きました。すると高校生の娘が私もお婆
ちゃんに可愛がってもらったから、一緒に行くわとついてきました。
奇麗にお掃除も終わって、さっき帰ってきてご飯を食べて、何げなくテレビを見
ておりましたら、娘がやってきて、「お風呂が沸いたからお母さん入ったら」と
言うので、「じゃあお父さんから入ってもらいましょう」と言いましたら、「だ
って今日は母の日じゃないの。何もプレゼントを貰っていないのだから、今日は
お母さんが先に入ってよ」と言うのです。
それではと入ろうとしたら、娘もついて来て、「お母さん、タオルと石鹸をかし
て」と言うのです。「どうするの」と渡しましたら、娘が背中を流してくれるの
です。
「何よあんた、あんまり変わったことしないでよ」と言ったら、「これは生き仏
のお墓掃除よ、死んでから、こんな暖かい墓石流せないのよね」と言われて、私
は胸がいっぱいになり、顔を洗う振りをして流れる涙を隠しましたが、こんな嬉
しい母の日はありませんでした。どなたに言っても娘自慢に聞こえると思うけど
、中山先生にはこのことがわかって貰えると思ってお電話いたしました、と言う
ことを、電話の向こうで、泣きながら私に話してくれたのです。
どなたにも母の日はあるのです。

その時、そうだ、そうだなと思って、できる人が出直しのできる人だと思う。
お婆ちゃんを大事にすると、娘さんが自分を大事にしてくれる。親から子供へ、
そして孫へと、巡り巡るものです。まさに「親子は因縁の連鎖である」

われわれがどう生きるかと世界が、次から次へとつながっている。
自分がちょっぴり努力してして生きることによって、先に走った人も、後から走
る人も喜んでくれる世界があるんじゃないかと思うわけです。

この間茨城県に行ってきました。あそこに野口雨情記念館というのがあります。
野口雨情の作った童謡に「シャボン玉 」という歌があります。
あの歌が、いみじくもこの一連のことを奇麗に歌い上げているような気がいたし
ます。

「シャボン玉 とんだ。屋根まで とんだ。屋根まで とんで、壊れて 消えた。
シャボン玉 消えた。飛ばずに 消えた。生まれて すぐに、壊れて 消えた。
風、風、吹くな シャボン玉 とばそ」

これ、普通一番だけしか歌わないですね。だから私は、子供達がシャボン玉遊び
をしている、明るい歌だと思っていました。なんか小学校の学芸会の時に踊った
記憶がありますが、本当は切ない歌なのですね。

あれは野口雨情が、長男が生まれたあとに、長女が生まれるわけです。丁度その
頃童謡が全国に広がるというので、作曲家の中山晋平と共に、徳島県に童謡普及
の為に行ってる最中に、その長女のみどりちゃんが、生まれてわずか十日足らず
の内に死んでいくわけです。昔は生まれた時が一才で、それから二才になるから
、二才で亡くなったことになるが、現実は十日足らずしかこの世に生きられなか
ったのです。
それを知らせる「ムスメシス」の電報が、旅先の野口雨情のもとに届きました。
その時に、野口雨情が「あんな可愛い授かり物、初めての女の子だったのに、死
に目にも会えないなんて、神も仏もあるものか」とその電報を握りしめて、雨の
徳島の町を走りまわりながら悲しむのです。そしてその気持ちをずっと胸に抱き
しめていて、やがて同じ境遇の人にたくさん出会うわけです。
それでその間に「赤い靴履いてた女の子」とか「七つの子」とか、いろんな童謡
を作っていったのです。しかし、どうしてもみどりちゃんのことが忘れられなく
て作ったのが、この歌なのです。
だから、最初の「シャボン玉 とんだ。屋根まで とんだ 屋根まで とんで
壊れて 消えた」の明るい歌の裏っかわに「シャボン玉 消えた。とばずに 消
えた。生まれて すぐに 壊れて 消えた」という、こんな切ない歌詞をつけた
のです。
ほんとに、生まれるべくして生まれてきて、わずか十日足らずで亡くなっていっ
た娘、そのことが堪らなくて、堪らなくて、いとおしくて、いとおしくてどうに
もならないわけです。しかも丁度三月でしたから、梅の花が咲いて、そして散っ
ていくのです。ああ、そうか、梅の花が散っていく。だけども又一年たったら、
梅の花は咲くじゃないか。何でうちの子は帰ってこないのだろうなあ、と思う訳
です。梅の花が咲く、又咲く、又来年咲く、毎年咲いてくるのに、なんでうちの
子は帰ってこないのだろうと、そんな深い悲しみの中に落ち込むのです。

その時、ふっと思わされるのです。花が散って、又咲くということは、花の命と
いうものは、ずっと残っているのじゃないだろうか。花びらが散るんで、花の命
は死んでなくて、残っていくからずっと又花が咲き続けるのじゃないかなと思う
わけです。

それならば人間も、肉体という花びらは散っても、命というものはどっかに残っ
ていくのではないだろうか。そんなことを思われるわけです。それならばもし、
あの無くなった娘に出会った時に、今のような私を見たら娘はどう思うだろうな
、お父さんの人生って何だったの。酒飲んで管まいて、駄目じゃないのと、きっ
と悲しく思うだろうな。
何とか一つ、娘だってきっと何かやらねばならぬものがたくさんあったのだろう
。よ―し一つ、娘の分まで頑張って、もしあの世に行って、娘に出会う機会があ
ったならば、お父さんの人生てどうだったと、胸を張って言えるような人生を送
ってみようじゃないかとかと思った時に、「風、風吹くな シャボン玉 とばそ
」と「やり直しはきかないが、出直しはできる」じゃないかと歌い上げたのが、
この歌だと思うわけです。

私どもは何かいいことをしょうと思っても、なかなかやれないことがあるけれど
、だけども少しでも努力することが、次の世代の大きな喜びであり、次から次へ
との、大きな幸せの種まきだと思うわけです。

この間山口へ参りました時、ある方から「先生、こんな新聞記事がありましたよ
」と新聞の切り抜きをいただきました。

それは斎藤つよしという人のことが書かれていました。つよし君は中一の時から
、登校拒否になり、繊細で優しい子でしたから、どんどん落ち込んで、最後は精
神科の先生にお世話になるわけです。二十の成人式を迎えた時、「もう俺みたい
な者は、生きててもお父さん、お母さんも喜ばれないし、何の役にも立たない。
人に迷惑ばかりかけるので、死んでしまおう」と決心して、頭から灯油をかぶっ
て、まさに火をつけようとした、その時です。日頃先生から「剛君が情緒不安定
なので、注意深く見守っていてほしい」と言われていたお父さんが、ハッとそれ
に気がついて、ダダッと走り寄ってきて、いきなり、つよし君に抱きつきました
。つよし君の方が背が高いので、見る見る内に、お父さんの体にも、灯油がいっ
ぱいかかりました。その瞬間、お父さんは大きい声で「つよしっ!いいから火を
つけろ!早く火をつけんかっ!」と大声で叱りつけるようにどなりました。

その瞬間、つよし君の脳裏に強く響くものがありました。「ああ俺の為に死んで
くれる人がいる。命をかけて止めてくれるお父さんがいる。俺はそんな大切なも
のなのかと気づき、なにくそっ、死んでたまるかっ」と、そんな気持ちにさせて
もらいました、という内容の記事がのっていました。

親の愛とか、親の祈りというものは、必ずどっかに伝わっていくものだという気
がするのです。

一寸皆さん、目を潰っていただけますか。そしてじっとご自分の子供さんのこと
を思い起こして下さい。

「一年一組、先生あのね」という詩集に書いてあった詩です。
「お母さんに、お母さんの宝物はな―にと聞いたら、それはあなた達よと言いま
す。だから僕はお母さんの命より大事と言うと、お母さんは僕とお兄ちゃんを抱
き締めて、うんと言います。僕はとっても嬉しいのです」

命にかえて生んで、命にかえて育てて、命にかえて、もし何かあったならば飛ん
できて守って下さる方があるならば、今度は私達が誰かのためにという、そんな
世界があるのではないかと思わせていただきます。

========================================================================
IA magazine 素晴らしい人生のために 毎週水曜日発行(週刊誌) No.70

発行■インプットアルファ http://www.futaba.ne.jp/~ko-ko/index.html
責任■小林 高一 ko-ko@futaba.ne.jp
執筆■ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀 LDJ04070@nifty.ne.jp
配信■まぐまぐ 0000026706 http://www.mag2.com/

Copyright(C) 2000-2001 Toyohide Nakamura All rights reserved. 無断転載禁
========================================================================

トップページに戻る  メールマガジン一覧表に戻る  次の号を見る 前の号を見る