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素晴らしい人生のために/今日の応援歌
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┠●┼┨ 発行/2002.04.03
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 110 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。
ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.110--
[SURVIVAL] ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀
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00.02.19 混
天風会の佐藤 誠さんから、次のようなような情報を頂きました。お裾分けと同
時に私のいつも話していることも、合わせてお送りいたします。

「米軍ではSURVIVALの各文字に次のような教訓を託している」
S(Size up the situation = 状況を判断せよ)
U(Undue haste makes waste = 急がば回れ)
R(Remember where you are = 自分がどこにいるかを忘れるな)
V(Vanquish fear panic = 不安や恐怖を克服せよ)
I(Improvise = 即席に作る)
V(Value living = 生活を尊重せよ)
A(Act like natives = 原住民同様に行動せよ)
L(Learn basic skills = 基本技術を身につけよ)

さて、先の箴言ではHow To 的な紹介に留まった感がありますが、私が真に言い
たかったことは以下のようなことです。
サバイバルという文字を見て想起したのは、天風先生の「神人冥合」のテ―プの
中のお言葉です。

インドの聖人が「お前の病がなかなか治らないのは遺伝なんかではない。自分が
蒔いた種だ」 「お前は適者生存という言葉を知ってるだろう」と、おっしゃら
れ、天風先生がああ、そうか、とピ―ンときて、納得、悟られたという件です。

適者生存の法則、THE LAW OF THE SURVIVAL OF THE FITTEST(天風先生の発音が
また、素敵なんですよね)に背いた生き方をしたが為だ。人間でありながら人間
らしい生き方をしてないからだ。

宇宙霊なるものは人間の心にしたがって極めて微妙に応酬するものである、とい
うことを知らなくてはいけない。
ここまで、言いたかったのです。
いま、思ったのですが「適者・FITTEST」とは、宇宙霊にFITしている
であり、そのこころの状態が神人冥合、打坐の境地なのでしょうか。

私もいつも講演する時に一番最初に言うことは、次の通りです。

1.今自分がどんな立場、条件のもとにおかれてるか。脚下照覧、己れ自身を知れ
2.次に、そこからの進歩、改善、脱却の為に何をなすべきか。対策を練れ。
3.対策を練ったら、直ちに実行せよ。一つ、一つ忠実につぶしていけ。

サイクルは問わない。一年にいっぺん、一か月にいっぺん、一週間にいっぺん、
一日にいっぺん、いや、いつでもいい。自分できめろ。はっと思ったら、すぐや
れ。まさに瞬間、クンハハカ、瞬間、安定打座。

この気持ちでいつもやっていたら、世の中がどんなにトチ狂っても生きていける
一番、可哀想なのは、自分自身が今どんな状態におかれてるかを全然意識してい
ないことだ。吹きすさぶ嵐の真っただ中にさらされているのに、ノホホンとして
いる。そして、何も対策を考えようともしない。

仮に誰かが、君、何をしているのだ、そんなことでは大変なことになるよ。すぐ
こういうことをした方がいいぞと教えてくれたとしても、「いや、これは厄介だ
これは金がかかる。これはちょっと無理だ。できそうもない。その内なんとかな
るだろう」といってると、この人の臨終の言葉はもうきまっている。
「こんな筈じゃなかったのに」と寂しくつぶやいて死んでいくのみだ。

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[111]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2002.04.10
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 111 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.111--
テレビ寺子屋 [清水先生ケガして学ぶ] タレント 清水 国明氏
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今度「遊you キッズ アドベンチャ―」という本を出版した。
先日郷里の福井の田舎に帰ったが、山の中がシ―ンとしている。昔はそこらへん
を飛び回って遊んでいる子どもたちがいっぱいいたものだ。
外で自然と遊ぶノウハウが途絶えてる気がして寂しいので、残したいと思って自
分の今までのアウトドアの経験を纏めて、本を出しました。

長女が中3、次女が中1、三女が幼稚園です。
三女の幼稚園の入園のため面接に行った時、園庭にすばらしく大きい桜の木があ
ったので、そこにツリ―ハウスを建てたらいいだろうなというような話をした。
一週間ほどしたら、家内の友達がやって来て、「園長先生が清水さんがログハウ
スを建ててくれると、とても喜んでおられました」と言われてびっくりしました
が、それじゃやってみようということになりました。

ツリ―ハウスといっても、直接桜の木には傷つけないように注意して、すぐ間近
に柱を4本建てて、木を組んでいくログハウスです。一本の枝も折らないように
気をつけました。階段をつけて子ども達が昇れるようにしたのですが、娘が「
だめ!これは私の家」といって通せんぼをしたのには困りました。
やがて、みんなも喜んで盛んに遊ぶようになりました。最初階段の片側だけ手す
りをつけていたのですが、大勢で昇り降りするので、手すりの無い方から飛び降
りたりするので、危険だから、そちらにも手すりを付けようか、ということにな
った。園長先生に相談したところ、「いやいや、落ちたら痛いのがわかるでしょ
う」ということでした。もともと私は、アウトドア、つまり野外活動には、ケガ
や、ちょっとした事故がありがちだが、自己責任でやるべきだという考え方を持
っていたので、納得しました。

ケガをすることによって学ぶ。然し、他人の子をたくさん預かってる幼稚園の園
長先生がこのような考え方をするとは、なかなか出来ないことだなと思い、嬉し
くなりました。子供をケガさせずに何事もなく育てるのもいいが、反対に多少の
ケガをしながら、成長していくことも大事なことだと思います。

実は最初の子が5才位の頃、私は幼稚園は不要だというように、思ってました。
あんなところで、なになにごっこなんかしても無意味だと思ってました。そんな
ことより、全国をキャンピイングカ―で家族ぐるみで回って、自然の中で伸び伸
びと育てていました。

ところがある日、娘が隣の幼稚園に行っている女の子のおもちゃをパッと取った
のです。常々、欲しいものは奪えと教えていたのです。
そうしたら、その子が、いきなり「何するのよ」と言ってパ―ンと娘の頬をなぐ
りました。私はびっくりしましたが、それよりも一番驚いたのは、娘自身だった
のです。父親の生活が間違ってたと思ったのでしょう。
やがて、私のところへやってきて、「パパ、私幼稚園に行きたい」と言いだしま
した。なぜかと聞きましたら、「私には社会性が欠けてると思うから」と言われ
て、がく然としたと同時に、もっともだと思い、早速長女と次女二人をすぐ幼稚
園に入れました。

それからしばらくして、お遊戯会の日に見ておりましたら、短い浴衣を着てみん
なと一緒になって、同じようにやってるではありませんか。あの個性まる出しの
狼娘が、人様と同じことが堂々と出来るのだということに感動しました。
自分がやりたいことはしっかり持って、その上で周りと合わせることが大事だ。

集団の中だけではいけない。個性を活かして且つみんなとの協調性を持たなけれ
ばいけない。ケガも恐れずにやれという意味で、ナイフも持たせている。
学校で、「ナイフを持っている人は手をあげて」といわれて、「ハ―イ」と手を
上げたので、先生から「なぜ持ってるの」と聞かれて「パパから、もしいじめら
れたら、相手を刺せといわれました」と答えました。

子供がナイフで指を切って「痛いよ」と言ってきたら、「お―、よかったね」と
言う。その意味は「指を切り落とすほどでよかったね」という意味と、こういう
使い方をすれば危険なので、大ケガを避ける経験ができて、よかったねという意
味である。先日、自分も親指の半分を切り落とすくらいのかなりひどいケガをし
て、大声で「お―い、大変だ、セメダインを持ってきてくれ」と叫んだら、家族
が全員で飛んできて、一斉に「パパ―、よかったね」と言われました。

生まれた時はまったくの新車同然なのだから、できるだけ、自分からケガとか、
刺激、つらい経験をある程度しておいたほうがいい。思いっきり、暑い、寒いと
いう経験をさせておいた方がいいと思って、まずアラスカにつれて行った。
マイナス40度の所でキャンプをした。「寒いよ―。どうやって寝るの」「死な
ない程度に寝ろ」オ―ロラが出ると「お―い、みんな起きて見てごらん」「いや
帰ってから、写真で見る」寝袋をひっぱって引きずりだして、無理やりに見せた
ら、パチンコ屋の方がきれいだ。寒い寒いと恐怖症になりかかったので、今度は
赤道直下のトラック諸島に連れて行った。プラス40度。文句なく暑い。

然し、毛穴を思いっきり開く、反対に毛穴をギュット思いっきり閉める。両極端
の経験をすることが大事だ。体の中の能力を使わないから、ストレスが溜まる。
少なくとも、プラマイ80度の中で生活した経験が貴重になってくる。

アウトドアの時、親離れの体験。子供がこけたりしたら、立ち上がるまで、じっ
と見てる。未然に手を出さない。子供は最初はなぜ助けてくれないかと、不安気
だが、自分の力で生きて見ろという試練だ。

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[112]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2002.04.17
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 112 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.112--
テレビ寺子屋 [岡村先生 オヤジの手紙 ] おかむら塾長 岡村 精二氏
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約20年前の昭和52年、山口県宇部市から、アメリカのサンフランシスコ迄、
手造りの6メ―タのヨットで、太平洋を147日間かけて横断した。
普通、ヨットで帆走したら、40日から、60日位でいけるところを147日か
かったので、世界最長記録だ。本当は太平洋を漕いで渡ろうとしたのだが、当時
はそれではパスポ―トが降りなかったのでヨットにした。
八丈島で帆を使えないようにして、暫くして、引っくり返りそれから一週間帆を
使って、あとは漕いだので、実際は漂着したようなものだ。

中学3年の時、堀江謙一さんの「太平洋一人ぽっち」の本を読んでやってみたい
と思った。毎日地図を見ていたら、ある時、風も海流も日本からアメリカの方へ
向かって流れてるではないか。これでは何もしなくても、いいのではないかとふ
っと思った。この思いにとりつかれたようになり、18の時は1年間ノイロ―ゼ
みたいになった。
気持ちは太平洋横断をしてみたい。怖いから止めたい。止める大義名文を一生懸
命考える。逃げたら一生後悔するのではないかという思い、それだけです、太平
洋横断を成功させたのは。

一人で手造り。2年かけて船乗りになって350万円溜めた。南佐織のファンだ
ったので、シンシア3世と名付けた。9ミリのベニヤで6メ―タ―のヨットだ。
若気のいたりで、もう一度これで行けと言われたら、おそらく無理だろう。
23才という若さのおかげだろうと思う。

横断もさることながら、帰ってからの方が大変だった。ヒ―ロ―はまさに、新聞
の一面にデカデカと報道された一瞬だけだ。2,3日したら、まだ遊んでいるの
ですかと言われる始末。まして就職は一つもない。又いつどこかへ行くんじゃな
いかとと思ったら、誰も雇ってくれないのも無理はない。5年間は悲惨なものだ
った。結婚式もそうでしょう。「わあ―、今日は奇麗ですね」人生、陽の当たる
役割と、陽の当たらない役割の時が必ずある。その時、どう思い、どう対応して
いくかということが、一番勉強になったことだ。

親子関係が良くなかった。16才から24才までの7年間オヤジと口をきかなか
った。皆さん、子供が太平洋横断をすると言いだした時、どう思いますか。
毎日が喧嘩の連続だった。その当時家ではヨットのよの字、太平洋のたの字は、
禁句だった。18才の時は最悪だった。夕食の時、カレ―だったりして、オヤジ
が帰ってきたら、皿とコップを持って、スッ―ト台所へ逃げていくようなことも
した。

今現在、親子関係がうまくいってなかったり、自分自身が親に迷惑をかけたなあ
と思っている人も多いと思いますが、そのへんのことを今日は考えてみたい。

宇部工専は2年間、寮だったが、バレ―ボ―ルをやってて毎晩11時までになる
こともあったので、3、4、5と5年間寮におりました。卒業して2年間漁船や
油タンカ―に乗ったりして、通算7年間オヤジと顔を合わさないようにした。卒
業式の翌日、母さんと二人で校長先生に呼ばれた。母さんは息子の好きなように
やらせてくれと言って、太平洋横断に反対はしなかった。有難かった。

ヨットの進水式の時、オヤジは来てくれませんでした。
太平洋横断の出航の前日、母さんは一生懸命に料理を作ってくれた。そして今日
だけは一緒に御飯を食べようと言ってくれた。その夜8時頃、私は俯いたまま、
黙々と食べていた。オヤジは黙って一人で酒を飲んでいた。母さんは話しかけて
くれるのだが、一方通行だった。そこへ丁度岡谷君という友人が迎えに来てくれ
たので、これ幸いとその車に乗ってヨットまで行きました。そのあと母さんは大
泣きだったそうです。

昭和52年5月17日(月)出航の日、母さんは大きな弁当を作ってくれた。オ
ヤジは頑固な大工です。背広なんか一度も着たこともなかったのに、一番いい背
広を着て、6時半に港にやってきて、じっと見てました。ふっと見上げると目が
合いました。その時「お前、本当にこれで行くのか」とポツリと言いました。
オヤジはそれまで一度もヨットを見てなかったのです。こんな小さな船で本当に
太平洋横断なんてやれるのか心配で信じられなかったそうです。

7時過ぎみんなが見送りにやってきてくれた。順番に握手をしてオヤジの所まで
来て、「行って来ます」と言って手を差し出しましたが、握手はしてくれたので
すが、何も言ってくれませんでした。
やがて7時半になり、後ろ髪を引かれるような思いで出帆。午後2時過ぎに、姫
島にさしかかった頃、母さんがが作ってくれた3段重ねの弁当箱を開けました。
すると一枚のメモが入ってました。何だろうと思って開いてみたら、「頑張れ、
母」と書かれてました。途端に涙がドッと出てきました。そしてひょっとしたら
と思って、2段目を開けて見ましたらもう1枚のメモが入ってました。そこには
「生きて帰れ、父」と書かれておりました。もうどうにもならず、大声を出して
ワンワン泣きました。
7年間ひと言も口をきかなかったオヤジがこんなことを書いてくれるとは、夢に
も思ってなかっただけに何とも言えない感動を覚えました。すぐ気持ちを伝えよ
うとしたのですが、20年前は、6メ―タのヨットに積み込む無線機が無かった
のです。
その2枚のメモをビニ―ルの袋に入れて、キャビンの壁にピンで止めてたのです
が、見る度に涙が出て止まらないので、とうとう一週間ではがして、今でも大事
にしまってます。息子が大きくなったらこの話をしてやろうと思っております。

ヨットは一昨年山口県の防府天満宮に寄贈させてもらったのですが、いろいろと
資料を整理してたら、偶然その2枚のメモを見ていて意外なことに気がついたの
です。それはその2枚の筆跡が同じだということです。しかも2枚ともオヤジの
筆跡です。あれっと思って、早速オヤジに確認しましたら、「ああ、そうだ。俺
が書いて、母さんに入れておけと言ったんだ」ということでした。こんなことに
19年も経って気づくなんて情けない息子ですね。

6月21日にヨットが引っくり返ったのですが、その夜母さんが夢を見たそうで
す。母親の思いとはすざましいですね。暗い船内でじっとうずくまってる私の夢
を見て、何か不吉な予感がしたそうです。その翌朝私を助けてくれた第8翔天丸
から「ヨットがひっくり返った」という電報が届いたのです。あの電報を見た時
の母さんの気持ちはどんなだったろうと思うのです。しかもその翌日には第8小
島丸という船から、「再びアメリカに向かう」という電報が届くのです。始めの
電報の時これで帰ると思ったところに、その電報が来た時、これはとんでもない
ことになる、精二が死ぬと本気に思ったそうです。
それ以来友達がお百度がいい、願掛けがいいと言われたら、何でもやったそうで
す。もし自分がそれをやらないと精二が死ぬと思って、必死になってやったそう
です。

そんな苦労が祟ったのだろうと思うのですが、私が横断から帰って1ケ月後遂に
母が倒れました。右の肺が膨らまなくなって、日赤病院に3ケ月入院しました。
私の太平洋横断が関係なかったとは言えないのです。私が漕いで渡ると言ってな
かったので、遅くとも80日もあれば着くと思ってたそうです。ところが100
日たっても消息がないから、120日頃にはもう死んだと半ば諦めていたそうで
す。そこへ147日目にアメリカから国際電話が入って、「無事着きました」と
言ったら「えっ」と言ったきり声が出ないのです。オヤジは日曜の朝だったもの
ですから、釣りに行ってたそうです。兄が自転車で探しにいって「精二が生きて
たぞ」と伝えたら、黙って俯いてたそうです。きっと泣いてたのだろうと思いま
す。

今私には中2の息子と小5の娘がおりますが、もしこの子が太平洋横断をすると
言ったら、私は絶対行かせません。本当によく許したなと思います。今誰を尊敬
しているかと聞かれたら、躊躇なく私は両親だと胸を張って答えます。そう思う
ことが唯一の親孝行だと思っております。

皆さんの中にも、子供とうまくいかない、両親とうまくいってない人がおられる
と思いますが、必ず私と同じ気持ちになると思います。なぜなら私にとって父や
母は世界にたった一人しかいないからてです。
親の有難さは、自分に息子が授かってから初めてわかるのではないだろうか。
中、高校生にいくら親の有難さを説いてもわかるはずはないと思う。

両親の腎臓が悪いからといって、自分の腎臓を提供する勇気があるか。僕には正
直言ってない。オヤジももう82才ですからね。でも息子のためなら躊躇しない
と思う。ここが親子の決定的な差だと思います。

一昨年オヤジの金婚式に兄貴二人と何かしてあげようと相談した。記念に一人2
0万づつ出して、3人で60万でハワイ旅行をさせてあげようということになり
ましたが、いよいよ4月が近づくにつれて、だんだんト―ンダウンしました。ち
ょっと多いのじゃないかな。あげくの果て、オヤジの「ば―か、もう80になっ
て、今更ハワイに行って何をするんだ」の一言でさっと消えました。結局一人2
万5千円づつ出して、7万5千円でフルム―ンで下呂温泉になりました。
20万があっという間に、2万5千円になってしまいました。

ところが息子が高校を卒業して車が欲しいと言った時、気前よくポ―ンと50万
出してるのです。子供に50万、親に2万5千円これが現実です。
親孝行したい時には親がない。大事にしたいと思います。40過ぎると親に対す
る気持ちが変わる。可愛く見えてきました。私は今両親と仲よく住んでいます。

喧嘩をすればするほど想い出とか、感動が深まる。親子の断絶に苦しんでいる人
も沢山いらっしゃるのではないでしょうか。喧嘩をすればするほど愛が深まるの
ではないでしょうか。何年か経った時、いい想い出となるのではないでしょうか

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[113]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2002.04.24
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 113 号】
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人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.113--
テレビ寺子屋 「場面があればがんばれる」 おかむら塾長 岡村 精二氏
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中3の時、太平洋横断の決心をしたが、18才の時ノイロ―ゼみたいになったこ
ともある。
怖いから止めたい。何か止めたい大義名分を無意識のうちに探している。何でも
そうですが、第一歩を踏み出す勇気というのは大変なものだ。いろんな青春論の
本を読んだが、書いた人がほとんど何も自分ではやってないということに気がつ
いた。
そのうちにやがて1冊の本に巡り合えた。森村 桂という人の本だ。20才の女
の子が、父から天国に一番近い島の話を聞いていた。やがて父が亡くなってから
貨物船に乗ってニュ―カレドニァに行った。それがもとで今では立派な観光地に
なっているではないか。

そのうちに「Lサイズでいこう」と言う本の中で見つけた一つの言葉があった。
「夢を夢のままにせず、その実現に向かって努力することが人生だ」
大きな決心をしてやるのはいいが、なかなか勇気がいるものだ。
太平洋横断に乗り出した時も、500人の人が送りに来てくれたが、誰一人止め
てくれる人はいなかった。何回か嵐にあって大変だった。でも一つ乗り越えると
自信が湧いてくるものだ。

横断から帰ってきてから、6年間、建設会社に勤めたが、体験教育というものを
やりたくなって、15年前から「おかむら塾」というのを始めた。ごく普通の進
学塾だ。夏休みや春休みにはヨット、カヌ―、キャンプ、クル―ジング等の野外
活動をする。今年は7泊8日で韓国までの洋上スク―ルをやる。一般公募で約2
0人位のメンバ―を集めてやる。
こんな私でも太平洋横断が出来たんだと、ありのままを見せると子供も自信を持
ってくれる。

4泊5日のキャンプなど、初日から20キロ位歩かせる。食料の買いだしからみ
んな自分達でやらせる。子供を集めてから、手分けして自分達で計画をたててや
らせる。体験以外には決して強くならない。
小学校1年生に気をつけなければいけないのは、荷物だけだ。5日間だからとい
って、パンツ、シャツ、靴下などを5枚づつというのは駄目だ。なぜならどれが
どれだかわからなくなるからだ。パンツ、シャツ、靴下3つをセットにして持た
せるとちゃんと着替えることができる。

又、ナイトハイクというのもやる。20、40、60、80キロ。体験教育が一
番大事だと思う。40キロというと、夜10時に宇部のおかむら塾を出発して市
内を回って翌朝7時頃、一番遅い子供でお昼頃帰って来る。大体11月頃の余り
寒くない夜にやる。過去15回で計2050人が参加したが、落伍者は一人もい
ない。
メインは小学校5,6年だ。1年が今までに13人参加してるが、その内12人
は女の子で、あと一人が男の子だ。全員完走している。幼稚園の年長組、6才児
が48人、20キロを歩いている。本当は参加資格はないのだが、両親と一緒に
お兄ちゃんを送りに来て、僕も一緒に行くと言いだすので、「お母さん、まあい
いでしょう。どうせ2,3キロで音をあげるでしょう」と歩きだすのですが、な
かなかへばらない。夜中の3時頃、丁度半分の20キロの所に中学校の体育館を
お借りしてある。そこで夜食としてうどんを食べて小休止をするのだが、6才児
はそこでコロッと寝てしまって、もう起きない。だが少なくともそこまで20キ
ロは歩いているのだ。

7年前に6年生の子が、「先生、又、今年も60キロ歩くのですか」と言うので
「当たり前だ、なぜそんなことを聞くのか」と聞くと「60キロは短い。80キ
ロ歩きたい」と言う。80キロというと、宇部から萩までの距離だ。「どうして
80キロも歩きたいのだ」と質問したら「去年、お父さんが褒美にこんな厚いビ
フテキをご馳走してくれたが、又,60キロでは駄目だ」と言う。
そこで今年はトロフィ―を出すことにして、最後の10キロをヨ―イドンとやっ
たら、何と全員が1時間で走ってゴ―ルインした。正直言ってびっくりした。
4年生と一緒に宝弁山という標高700メ―タ―の山に登ったが、大人で1時間
半かかるのを、40分ノンストップで登ってしまった。

60キロの最年少者は3年生の前野という3年生の女の子だ。100キロに6年
生が5人、120キロに中3が3人完走している。120キロといったら、金曜
日の夜から土、日曜日の昼までかかる。

「場面があれば、頑張れる」

10キロの時は10キロ、20キロの時は20キロ、それぞれその場面になれば
それに応じてどんなことでもできるのだ。
ジュニア洋上スク―ルというので、石垣島まで春休みに小1から中3まで、7泊
8日で行く。1年生の見送りに両親と、それぞれのじいさん、ばあさんが2人づ
つ、計6人が送りに来て、子供もガチガチに緊張している。その時3年生の子が
「心配するなよ、僕が面倒見るよ」と慰めるのだ。

主席指導員が21才の福岡教育大学の3年生の山根さんという女子学生だ。指導
員が中3から高1だ。班長が小6だ。リ―ダ―が小3。その下に1年生がつく。
1班が6人位だ。どう思いますか、不安を感じませんか。
普通、こんな場合には少年の船にいきますと大人の指導員がつく、でも大人の指
導員では残念ながら1年生には効果的ではない。なぜかというと1年生は時々お
ねしょをするのです。毎日夜中の3時、4時、5時に指導員が起しにきて面倒を
見るのです。大人の指導員は夜10時になると仕事が終わるのです。毎晩宴会に
なるのです。残念ながらお酒も飲みます。おねしょの世話まではしない。ところ
が学生はカップラ―メン一つで頑張ってくれるのです。毎晩3,4時間しか寝て
ないのです。それでも一生懸命やるのです。場面があるから頑張れるのです。

1年生は6年生の班長さんを見ていつかあんな風になりたいと思う。班長はあん
なリ―ダ―になりたいと思う。私がやっても子供はあんなおじさんになろうとは
思わないでしょう。やはり年が近いとそんな気持ちが起きるのです。
この山根さんというのはもう8年も続けている。リ―ダ―から班長、指導員と経
験を積んできている。だいたい一人っ子が多くなってるからおねしょの世話なん
かやったことがない。1日、2日は班長さんは文句ばっかりです。僕は沖縄の海
で泳ぐつもりで来たのにと不平を言います。でも本当に頑張るのです。1年生が
おねしょをすると、誰にも言わず6年生が起こして、パンツを履き替えさしてい
るのです。普通家ではこんなことしないでしょう。でも指導員の姿を見ていると
自然にやるようになっていくのです。
たまに旅館にいくと1年生はふとんを上げられない。6年生がおふとんを持って
一生懸命上げてるんです。1年は何もできなくていいのです。6年生からのお世
話のされ方を学べばいい。そうしたらやがて自分もお世話ができるようになるの
です。子供達の可能性を信じて、場面を与えて下さい。

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IA magazine 素晴らしい人生のために 毎週水曜日発行(週刊誌) No.113

責任■小林 高一 ko-ko@futaba.ne.jp
執筆■ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀 LDJ04070@nifty.ne.jp
配信■まぐまぐ 0000026706 http://www.mag2.com/

Copyright(C) 2000-2002 Toyohide Nakamura All rights reserved. 無断転載禁
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