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素晴らしい人生のために/今日の応援歌
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┠●┼┨ 発行/2002.07.03
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 123 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。
ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.123--
テレビ寺子屋「主婦の再就職について」 東京家政大学教授― 樋口 恵子先生
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私は東京家政大学で家族関係学とか高齢者論とか、主に社会学関係のものを教え
ております。去年政府の男女共同参画会議の初の調査会で、「仕事と子育て両立
支援委員会」のことで、これは当事者としてあなた方の問題でもあるから、仕事
と子育て小泉さんに手紙を書いてご覧なさいと言いました。

その幾つかを読んでみます。

1/日本の少子化が、女性が外へ出て働くようになったからだと言う意見を聞く
と、女性は外へ出て働く必要がなく、子供を産み、育てていくだけでよいと、言
われている様な気がします。仕事をしていく上で、女性にとって出産や子育てが
重荷になるようなことがあってはならないと思います。働きながら子育てができ
るように、社会や施設が充実していくことによって、女性は安心して出産するこ
とも、仕事を続けることも、できるようになると思います。

2/私は将来家庭を持っても、仕事をしたいと思っています。私の母も私を育て
ながら仕事をしておりました。母は保育士として、クラスを持っておりましたが
卒園式の朝、私が熱を出した時、周りから仕事なんか行くなと言われて大変だっ
たことや、家庭と仕事を両立することの苦労を、見たり聞いたりしてましたので
果たして私にできるだろうかと心配です。父が母の手伝いを一切しない人だった
せいもあります。家事と仕事を持つ女性には、周りの理解や助けが必要だと思い
ます。

3/例えば、もし私が子を持つ親だとしたならば、子供の養育費、教育費、そし
て自分達の生活費等を得るという経済上の事情で、夫婦共働きということになる
と思います。その時に保育園に空きがないと言われ、やむを得ず仕事を休むとし
たならば、復帰することも難しくなり、親を頼りにしょうにも、父はリストラぎ
りぎりで、母は祖父母の介護とパ―トで手一杯で、とても孫の面倒を見る余裕も
ないでしょう。
先ほどのような虐待事件に不安を感じながら、認可外施設に子供を預けるのも、
後ろめたさを感じます。こうして仕事,家事、育児等のストレスを抱え、知らず
知らずのうちに、その矛先が子供へむけられるかと思うと不安です。自分一人の
生活さえ不安があるのに、自信を持って人間を育てていけるのは、果たして可能
なのでしょうか。

以上が大学3年生の感想文です。

かなり、しっかりしてるでしょう。だけどやはり、今の若い娘です。最後に「小
泉さ―ん、頑張って―、頼りにしてま―す。母と子より」と書いたりしてます。

これを見ておわかりのように、中には専業主婦を目指してる人も勿論おりますが
もともと、家政大学は資格を取って、将来独立して仕事をするための学校ですか
ら、親に経済的負担を掛けながら、四大に行かせて貰っているという意識があっ
て、比較的仕事志望の者が多いです。

今日はそんなことを踏まえて、大学卒の就労の傾向、並びにその対策などについ
てお話しようと思っています。

現在の女性の就業状態は、俗にM字型タイプと言われています。
つまり学校を出てから、就職して30才前後で出産のためにぐうっと減るが、や
がてまた職場に復帰して、暫く継続し、そのうちに定年退職してぐっと減るとい
うカ―ブを描く。

日本と韓国がこの傾向があるが、諸外国では一般に余りM型の凹みが少ない。と
ころが実際には、子育て中の女性たちに、働く希望がありますかとアンケ―トを
取ってみたら、殆どの女性が条件さえあれば働きたいという希望を持っている。
すなわち、子育てしながらでも、働ける条件さえ整っていれば、カ―ブが落ち込
む現象は起きないということなのだ。いうなれば、日本と外国は別に違ってはい
なかったのだ。同じなのだ。要は日本における子育て中の労働条件がまだまだお
くれているということなのだ。

確かに、産休・育児休暇という名目は、現実にあるのは事実です。然しながら、
現実の日本の職場は、なかなかそう簡単にはいかないよううだ。つまり、そうい
う制度はあっても、「君にはご主人がいるんだろう。何も無理しなくてもいいん
だよ。止めてもらってもいいんだよ。」と暗に退職を迫られるのだ。

加えて、意外にも身近なところに思わぬ障害がある。それは夫なのだ。
「僕が一生懸命に働いて家族を食べさせているのに、なぜ君が働かなければいけ
ないのだ。何の不満があるのだ。どうしてもというのなら、働いてもいいけど、
その代わりに、家族や僕に一切迷惑を掛けないと約束できるかい」
又、お姑さんはそれに輪をかけて、「何が不足で外へ出て働くのよ。私の倅や子
供に不自由な思いをかけて、あなたそれでいいの」そこまで言われたら、妻や女
性にも大いに言い分があるのだ。そりゃたしかに物質的には満足してますが、社
会的には不満を感じてます。われわれは生理的には、食べ物を食べるが、その他
にも、自分自身を磨き、能力を生かし、社会に反映したいという、社会参加欲求
を持ち、社会と共に生きる喜びを求めているのです。

戦前の農村の女性は、ある意味で幸せだったと言えると思います。
勿論肉体的には、かなり重労働で大変だったかも知れませんが、少なくても精神
的には、家族一緒に協力して働くことにより、満足感を得ることができ、あそこ
の嫁さんはよく働いて、こんな立派な作物を作って、大したものだと褒めてくれ
て、存在感を得ることにもなる。みんなとの交流がある。

今は孤独で一人で育てる。女性が子供を産むのはすばらしいことだ。子供を持っ
たから社会があり、夫とのより深い愛情が増すものです。それを子供ができたか
ら仕事をお止めなさいというのは、おかしいと思っています。

もう一つ別のデ―タ―があります。
それは厚生労働省が発表した女性の学歴別の就職状況の統計デ―タ―です。
高卒、短大卒の人達のは、先ほど示したM型グラフタイプです。
そしてもう一つは四大卒と大学院卒のグル―プです。
後者は、卒業と同時に93.4%の人が就職して、やがて30代で結婚、子育て
をしたりして、そのままずっと続く傾向があるのです。

それと対象的なのが、外国では比較的に、高学歴の女性の仕事と家庭の両立の比
率がハイレベルを維持してる傾向にある。
ところが、現実には、大学に入ると、比較的すばらしい男性と付き合う機会が多
いからです。
今は私立大学でも、かなり国からの助成金がでているわけです。いわば、国の税
金をかけて勉強をして資格を取ってるのだから、それをわが子だけに還元するだ
けでは、勿体無いと思っています。もっと広く社会に大きく還元すべきだと思い
ます。それには、高学歴の女性が安心して再就職できる研究をしてもらいたいと
思うのです。本当の意味のワ―クシェヤリングの必要があると思います。
お父さんも少し仕事を減らして、女性に協力してもらいたいものです。

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[124]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2002.07.10
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 124 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.124--
テレビ寺子屋「子供達のアフガニスタン」フォトジャ―ナリスト 長倉 洋海先生
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27年前からもうすでに10何回となくアフガンにでかけて、主として子供達を
撮り続けて、写真集も何冊も出している。学生時代,世界が殆ど知らない、遊牧
民と一緒になって放浪してみたいと思って行ったのがきっかけで、その時にペル
シャ語の方言を覚えたのが、80年からフリ―カメラマンになった時にとても役
にたちました。

今度子供達をテ―マにして、「ワタネマン、私の国アフガニスタン」という写真
集をだしました。
美しい風土、家-と一緒のところ、若い人と恋人達、又は子供達に教えられたこ
となどをお話してみたいと思います。

去年の11月、12月と行った時、荒涼たる風景をイメ―ジしてたのですが、無
論そればかりではなく、杏の花が咲き誇り、畠は緑が一杯で、山々には真っ白な
雪が積もり、川には冷たい水が豊かに流れてました。

子供達で日本と違うなと思ったことは、1,2才の時からパラワニというんです
が、レスリングに似た、腰にタ―バンを巻いて、取っ組み合い、相手が地面に手
をついたら勝ちというゲ―ムを盛んにやってます。ちゃんと正式に行司がいて、
勝ったら賞金もでるので子供達も喜んでやってます。みんなとても花が好きで、
詩を読む人もたくさんいます。子供達が喧嘩をすると、大人達はやれやれと応援
し、どちらかが泣くまでやらせて、逞しく育てていいるという状態です。

昔からアレクサンダ―や、ジンギスカン等に席捲されたという、戦乱がいつもあ
るという国柄だけに、10才くらいになると-々と大人に向かっていくくらいで
す。

反面、ナイ―ブな面も勿論持ち、自分の国を凄く愛してます。ある日、民家で子
供がサ―ビスをしてくれて食事をした時のことですが、ショロワというス―プの
中に羊の肉と芋と野菜が入っている料理だったので、思わず、「ああ、又ショロ
ワか」と言ったら、その子供が顔を真っ赤にして怒って「今、戦争をやってるか
ら、美味しい料理が少ないのだ。マントウとか、ヨ―グルトとか、カバフフとか
本当はたくさんあるのだ」と言われて、ごめんと謝りました。

又、タリバンと反タリバンが戦争をやっていて、「こんなに爆撃があって怖くな
いの。逃-ないの」と聞いたら「おじさんは自分の国が好きじゃないのか」と反
対に聞かれて、ドキッとしました。子供より大人の方が何でも知ってると思って
たのが、逆に子供に教えられた気がしました。

私達はどうしていつも戦争なんかやってるんだろうと、頭でいけないことだと思
ってるが、そこで現実に生きてる人々は、痛み、悲しみを感じているのです。

カプ―ルで、戦争中、物を売っている子供と話をしている時に、地響きを立てて
戦車がやって来ました。その時、その子供が、子供特有の甲高い声で「あっ、戦
車だっ」と叫んだので、私は日本の子供がテレビゲ―ムで興じているのを思い出
して「僕も戦争が好きなのかい」と聞きましたら、その子供から、いかにも私を
憐れむような顔をして、「おじさん、戦争って、人が死ぬんだよ」と言われたの
で、愕然としました。自分はなんて物を知らないのだろうと恥ずかしくなりまし
た。

事実、その2,3日前にロケット弾が飛んできて、やはり物売りの子供が二人可
哀想に死んだのを知っていたのに、一寸高見になっていた自分が本当に恥ずかし
くなりました。

タリバンが撤退したら、すぐ禁止なのですが、サッカ―や凧揚をしていました。
女性達は、タリバンがいなくなって、やっと仕事ができるようになりました。

ヘラ―トレストランに行った時です。レストランといっても、プレハブの建物で
す。夜9時過ぎにそこに行きましたら、お客も少なくなっている店の隅の方で、
4人の子供達が食事をしてました。日頃車の窓拭きや、店の掃除をしている見慣
れた子供達です。このレストランは、一応高いのに、どうして子供達が入れるの
だろうと不思議に思ってこの子供達に聞いてみたら、「ここのご主人に食べさせ
てくれているんだ」と言いました。料理は客の残したものですけれど、ちゃんと
パンは四角に切ってあり、サラダも綺麗に盛り付けてあります。イスラムの世界
では、困っている人を見たら、誰でもお互いに助け合うという精神でやっている
のです。

学校が少ないので行ってない子供達が多い。お父さんが死んだ、家-が死んだ、
という不幸な子供達が多いが、将来の夢を聞いてみると、ほとんどが、医者にな
いたい、先生、技師、テ―ラ―(洋服を作る人)と答えます。自分の周りの困っ
た人達を助けたいという気持ちで一杯なのです。

GNPは少ないし、貧しいし、就学率も2,3割、都市部でも4割という状態か
も知れないが、貧しくても、学校へ行かなくっても、しっかりと大人たちから生
きていくことを、実学を通して学んでいるということを、実感しました。

心豊かな生活があるなということを感じます。決して戦争をしたくてしたのでは
ない。中央アジアの十字路という、地政学上の位置の宿命でそうなっているので
す。一日も早く、平和になって、学校に行きたいと子供達は願っているのです。

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[125]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2002.07.17
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 125 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.125--
テレビ寺子屋「南アで逞しく生きる夫婦」フォトジャ―ナリスト 長倉 洋海先生
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世界の約30ヶ国をカメラで取材しているが、各地に実際に何ヶ月か滞在して仕
事をするわけですが、一回帰ってきてから、暫くして再び訪問して改めて見た時
に、ああ、これは気がつかなかったなということがよくあります。

しみじみ思うことは、自分が出会う人はごく限られているわけですが、ともする
と、その人から得た情報だけで、アフガンでは云々というのは危険だということ
です。そこで私は、私の見た何々ではという前提条件無しでは、軽々しく言わな
いことにしています。
事実、私たちでも、ごく一部の人からの少ない情報だけで、「どうも日本人は・
・・」などと言われると不愉快になることがあると思います。

今日は、南アフリカの逞しく生きるある鉱山労働者の家-との交流についてお話
したいと思っています。

ご承知のように、南アフリカの金の産出量は世界一と言われています。
私は最初に行った時はさぞかし豊かに埋蔵されていて、もしかしたら、そこら辺
に金塊がゴロゴロ転がっているのではないかと思っていたのですが、とんでもな
い認識不足でした。非常に採算が悪くて、なんと、1トン当たり、僅かに4乃至
5グラムしか取れないのです。びっくりしました。
日本でも、現在、九州地方で金を掘ってますが、1トン当たり20グラムから時
には200グラムということもあるそうです。信じられないくらいです。

しかも昔は露天掘りもできたそうですが、今では地下3000〜4000メ―ト
ルと掘らないと駄目だそうです。約50万人の鉱山労働者が働いています。
それでも世界一というのは、賃金が安いというコストのせいです。

最初のきっかけは、南アの全鉱山労働者のユニオン大会がダ―バンビ―クで開か
れた時に、かねて鉱山労働者の実態を撮りたいと思ってたので、出かけて行った
のです。大きな観客席のあるスタジアムでした。すると主催者から、日本から同
志で、金の労働者代表者が来てくれたと紹介されて、「是非何か挨拶をして欲し
い」と言われて、面食らいましたが、成り行き上やることにしました。
たまたま、当時アパルトヘイト(南ア共和国の有色人種に対する人種隔離政策。
1991年に廃止)が盛んな時でしたので、よし、これでいこうと、とりあえず、反
対論をぶち上-たところが、満場の拍手喝采を浴びてびっくりしました。

会の終わり近くになって、主催者に頼んであった、誰か、家-の取材に応じて欲
しいということを、主催者に言ってもらったところ、一斉にさぁっとみんなが席
を立って、帰ってしまいました。その時、たった一人だけ残って、やって来てく
れたのが、ソロモンだったのです。

彼は英語ができないのですが、年に一度のクリスマス休暇で3日間だけ故郷に帰
るというので、何とかなるだろうと、一緒に行くことにしました。

彼の家はトランスカイというところで、バスで12時間かかるのです。彼の働い
ている鉱山は、ダ―バンビ―クの近くで、地下3700メ―トルのところです。
暑くて、60度くらいあるのですが、勿論地上から空気を送って、換気はしてま
す。岩石を掘削するので、裸というわけにはいかず、ゴム合羽を着ているのです
が、今度は内側が汗で蒸れてこれまた大変な作業環境です。

ヨハネスブルクという大都会の先の、トランスカイにやっと着きましたが、男性
はみんな出稼ぎに出ていて殆どが老人と女子供ばかりです。ソロモンの子供達が
わっと駆け寄って来て、私の荷物も持ってくれ、ホテルのような気がしました。
奥さんはリラといいます。ソロモンの表情もとても嬉しそうでした。三日お世話
になりました。村中の人が挨拶にやってきました。やはり出稼ぎの人が無事帰っ
てきたということはおめでたいことなので、彼の家でも10頭くらい飼っている
羊の一頭を殺して歓迎会が開かれました。

着いた日が昼頃でしたし、翌日は教会に行きました。リラは実に小まめに働いて
食事も長い時間をかけて煮込み料理を作ってくれました。

実は最初の日は、南京虫にやられて、体中がかゆくてかゆくて、-れませんでし
た。リラに話しましたらすぐ町で一軒だけの雑貨屋に走って行って殺虫剤を買っ
てきてくれました。

三日目目の朝、カメラマンというのは欲張りなものですから、これから一年間又
会えないのだから、きっとリラは悲しくて泣くのではないかと思って、その瞬間
を絶対キャッチしょうと楽しみにしていたのです。どうも人の不幸を待ってるの
なんて、嫌な商売ですね。

ところが、リラは違うのです。どう違うかというと、ソロモンの靴を磨いたり、
ズボンにアイロンをかけたりしていたのですが、隣りのおばさんがやってきて、
ラジオから軽快なメロディが流れて来た途端に、二人で陽気にリズムをとって、
歌いながら踊りだしたのです。

二度目に訪ねた時は、ソロモンは働きに出ていて、不在でしたが、前回撮った写
真を沢山持って行きました。その時、写真屋でサ―ビスでくれるアルバムを持っ
ていったのですが、私の撮った写真が大きすぎると言って、鋏でズバズバ容赦な
く、切りはじめたのです。せっかくかなりのお金をかけて作ってきた写真を目の
前でドンドン切られて小さくなるのを、複雑な気持ちで見てました。

ソロモンはトロッコの事故で指を切り落とされていました。
彼のホステル(宿舎)は南アのアパルトヘイトのおか-でかなり厳しくて、妻を
連れてきてはいけない。宿泊施設も蚕棚スタイルで劣悪な状態でした。ただ、酒
を飲む施設だけは立派な建物でした。但し酒は最低でした。
いろんな人種が居りますので、時折暴力沙汰もありました。そこでストレス解消
のために安酒で酔い潰さすためです。たまに家-が訪ねて来た時に泊まる粗末な
外来者用の宿舎がありました。比較的海の近くだったのですが、その海にも一度
も連れて行ったことはなかったそうです。

三度目に彼の仕事場を訪ねた時に、驚いたことにはそのホステルはすでにブルド
―ザ―で壊されて、跡形もありませんでした。ソロモンのことを聞いてみたら、
リストラにあって、故郷に帰ったということでした。一生懸命に働いて、年金が
貰えるようになったら、故郷に帰って、家-と一緒に静かに暮らしたいと言って
たのに、残念でした。早速車で家を訪ねました。リラがあなたは、ソロモンのベ
ストフレンドと言ってくれました。

彼は現在、近くの町のストア―の夜警の仕事をしておりました。トラックで30
分くらいかかるのですが、そのお金がもったいないので土、日だけ帰ってきて、
あとは泊り込みでやっているそうです。

彼は今まで長い間働いたのに、何の保障もしてくれなかったと言って怒っていま
した。でもリラは、私はこれでよかったと思っています。これまでは、毎日毎日
心配で心配で堪らなかったのです。でもこれからは、賃金は安いけれどそんなこ
とがないから安心です。と言うのです。

事実、この半年で1500件も鉱山事故が起きているのです。

彼等を見ていると、辛いのを受け止めて、下をうつむくのでなく、明るく踊りで
乗り越えていこうと前向きな考え方に感心しました。南アでは植民地政策で、多
くの民族がいるので、言葉が通じないので歌と踊りで意思疎通を図っているので
す。

又クリスマスに来てくれと言われているので、いつか訪ねたいと思っています。
人と出会うということは、元気にさせられるものです。また逆にこちらが励まさ
れることがあります。
出会うことで新しい発見があります。アフリカでは明るく、逞しく、生き生きし
た生命力を感じました。

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[126]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2002.07.24
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 126 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.126--
TV寺子屋[運命を変えるには、生活習慣を変える] 中山 靖雄先生
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運命を変えるには、生活習慣を変えるしかないのではないか。
規律のない所には、本当の自由はない。集団生活をしていく中で、全部が自由な
ことをしていれば、結局は全部が不自由になる。規律を守って行くうちに、やが
てそれを越えて、自分であたらしい規律を作っていくのが本当だ。

人間は生活習慣の中の一部を変えると、やがて全部が変わっていく。朝7時に起
きていたのを、6時半に起きるようにしたら、それ以降が全部変わってくる。
通勤の時、座らないと決心して実行したら、早く行かないと座れないと考える必
要が無くなるから、自然とゆとりが出来てくるだろう。躾とは点である。しつけ
糸は点である。それを規範、目標として縫っていくでしょう。

子供に早寝、早起きをしろといっても、なかなか聞かない。俺が寝たら、そのあ
とで何かいいことがあるんじゃないだろうか。そういえば、まだプリンが三つ残
っていたなと、心配してなかなか寝ない。それよりも早起きの習慣をつけさえす
れば、ほっといても自然に眠くなって、早く寝るようになる。

生活習慣病といわれるものには、肉体のそれと、心のそれと両方があると思う。
心が変われば行為がかわる。行為が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人柄
が変わる。人柄が変われば境遇が変わる。
思いが変わればやることが変わる。やり続けるとそれは人柄になる。人柄を変え
ることによって置かれる場所を変える。
酒飲みが酒を飲み続ける。甘いものもどんどん食べる。やがて糖尿病になる。
常に優しい心を持ち続けてて人に接すれば、自然と優しい人柄ができてくる。
そんなことは当たり前だというが、なかなかできないものだ。
新婚当時のまっさらな心を思い出してみたらいい。

先日仙台に出張の時、時計を忘れた。仕方がなく、1900円で時計を買った。
その晩、家に電話をした時、家内に「今日時計を忘れたよ」と言ったら、「ほら
あれほど忘れ物はないのと、何度も言ったのに」
「すまんすまん、それで不便だから1900円で買ったよ」「また、いらんもの
を買って」と怒られる始末です。
ところがこれが、新婚当時なら「あら、それじゃ不便でしょう。困ったわねえ」
「仕方がないから、とりあえず1900円で買ったよ」「わぁ―、安くてよかっ
たわねえ」ということでしょう。これがなくなる。

どう心の持ち方を変えるか。親と子。”と”を除けば親子。男と女も”と”を除
けば夫婦ということでしょう。男女同権とはいうが、夫婦は同権ではない。
二つ併せて十になる、愛(相)の計算。1+9=10、2+8=10。
親子の場合、子がまだ赤ん坊で何にもできない時は、親が9で、子が1だ。
だんだん成長してきて、8対2、6対4となり、やがて親が年老いた時、その比
率が反対に3対7、1対9となる。これが老人介護の問題につながってくる。

新婚の時は、朝主人を起こす時でも、昨日仕事で遅かったから、さぞ眠いだろう
なと思うから、優しく「あなた、ごめんね。もう時間よ、起きて頂戴」と言う。
ところが、最近は「あなたっ、何時だと思ってるの。起きるのっ、起きないの」
というように変わってくる。

結婚生活とは新しい発見ではなかろうか。「あら、こんないいところがあったん
だな」「あれ、こんなことはなかったのに」「ああ、これが本性だったんだ」と
か。誤解で結婚し、理解で生きるのが、結婚ではなかろうか。
恋愛中は相手に合せようとする。「おなかがすいたね」「あら私もすいたわ」
「何か食べようか」「いいわね」「君何を食べる」「何てもいいわ」「でも何か
好きなものはないの」「あなたの好きなものなら、私も好きよ」

心を合わせる努力を無意識の中にしていた。それがいつの間にかマンネリになっ
て、「寿司にしょうか」「寿司はだめっ」となってしまう。
夫婦生活の中で、いろんな葛藤があって、いいものが生まれる。それが子供であ
る。子供は授かり物という。子供は結果である。夫婦は縁である。ご先祖が因で
ある。昔々、お父さんとお母さんがいたとは言わない。おぢいさんとおばあさん
がいた。ぢぢ、ばばの世界。ぢぢ、ばばとは時間と場所のことを意味する。

桃太郎にしても、ばあさんがタイミングよく拾ったから、成立する。
川上から桃が流れてきました。どんどん、どんどん流れていって、やがて海に流
れていきましたでは話にならない。
又は、川上で拾ったのでは、種が出てきました。川下で拾ったら、桃太郎が死ん
でいましたでもだめだ。一番いい時に、一番いい場所で生まれてきた。だから授
かり物というのだ。

相手と同じことを繰り返すのだ。「成績が悪かった」「あら―、悪かったね。残
念ね。今度はもっとがんばろうね」と言えばいいのを「悪かったぁ。原因はわか
ってるでしょうね」さあそれから、延々と説教が続く。これがこわい。
大事なことは、子供を叱った時、ああ私も子供の時は同じことをして、親に心配
かけたなあと、考えることだ。聞き手があって話ができる。裏と表。心と行動。

比較しない。最初は主人だけしかないから、うまくいく。だんだん比較するよう
になる。隣りのご主人と比べて、「どうも給料がねぇ」
自分と大きく違っていたら、余り腹が立たない。「山口百恵とお前はたしか、同
じ年だったな。それにしても、百恵はいつまでもきれいだな。この間の幼稚園の
子供と一緒のところをTVで見たが、一寸も変わってないな」
ところが、これが隣りの奥さんとの比較なら、腹か立つ。

日本人は昔から、あまり比較しなかった。桜は散るという。梅はこぼれる。椿は
落ちるという。だから病人の見舞いには持っていくべきではない。牡丹はくずれ
るという。それくらい日本人は花の散るさまにさえ、これほど違う表現をする繊
細な神経の持ち主なのだ。花はそれぞれみんな違う。子供もそうだ。

俵町もえ子さんの句に「寒い夜ですね 寒い夜ですね 答えてくれる人のいる暖
かさ」というのがあります。
先日高山に行った時、ある小さな飲み屋の壁に、その句が書かれていた。
ママさんに、その歌のことを聞いた。すると彼女が話してくれた。

「十数年前、父に結婚を反対されて、相手は東京へ出て行き、東京で結婚し、私
は高山で結婚しました。お互いに音信が途絶えてました。それが去年の正月、雪
の降る夜に、向こうから歩いてくる彼に気がつきました。とっさに何と挨拶した
らいいのか、わからなかった。だんだん近づいた時、思わず「寒い夜ですね」と
いう言葉が口からでてました。すると彼からもも「寒い夜ですね」という返事が
戻ってきました。お互いに何か暖かい気持ちが通いあった気がしました。それで
この歌が忘れられないのです。

最近はこんなことがなくなってきた。寒い夜ですね。昨日よりは暖かいよ。
全てを肯定的にまず受け止める。だから、昭和天皇は「あっ、そう」とおっしゃ
った。主人が「寒かったよ」「あらぁ、寒かったわね。大変だったでしょう」
心と命。思いと行動。裏と表。表裏一体というが、裏の中に表がある。
泥棒と警官が走る方向は同じだが、思いが違う。
新入社員に心から言うことがある。初月給は長年育てて下さった親に感謝を込め
てお礼をすること。

もう何十年か前、初月給を貰った時熊本の父親がパンが好きなので、秋葉原で、
一枚焼きのト―スタ―を買って送った。とても喜んでくれて、皆に一枚一枚自分
で焼いて渡している。7,8年たってそれが壊れたということで、今度は2枚焼
きのト―スタ―を買って、年末に郷里に帰った。大掃除の日、父が何かブツブツ
つぶやきながら、片隅で古いト―スタ―を一生懸命磨いている。「長い間ご苦労
さんだったな。壊れたから捨てるよ。ごめんね」と、丁寧に包んで、どこに捨て
ようかと、ウロウロしている。

古新聞の包みの上に置いたり、暫くして、今度はガラクタの所に移したり、70
半ばの年老いた父親の姿を見た時、ああ人を喜ばせるということはこういうこと
かと、しみじみ思った。
裏を大事にすることが自分が幸せになることだ。心が変われば行為が変わる。計
算しない純真な気持ちが大事。気持ちを素直にコトバにする。
お休みなさいも自分の命に向かって、今日一日、有難う、お休みなさいと言って
みたらどうだろう。言霊、言葉を大切にするのだ。

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[127]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) =============================
┠●┼┨ 発行/2002.07.31
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【第 127 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2002 vol.127--
TV寺子屋「 乳ガン患者の願い」 評論家 俵 萌子先生
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私は6年前に 乳ガンになりまして最初は落ち込みましたが、病気というものは
たとえ病が直ったとしても、気持ちが立ち直らないとダメだと思っています。実
は私もそれで悩んでいたのですが、最近やっと立ち直れたと思います。

一つの会を昨年の6月18日に思い立って、半年がかりで「1・2の3で温泉に
入る会」というのをようやく立ち上げる事とができて、今はそのことで忙しくや
ってます。
この会は、乳ガンや、子宮ガンなどで体に傷ができた人は、やがて病が直っても
温泉に入る勇気がなかった。それを超える同じ仲間を募って、勇気をもって頑張
ろうという人達の会です。
日本全国に呼びかけて、もう130名を超え、支部もできてきました。それをパ
ソコンを使ってやりましたが、今日は、パソコンのことではなくて、その会のこ
とについてお話ししたいと思っています。

病が回復し、普通の生活ができるようになって、一つ憂鬱なことがありました。
私は講演でよく旅行をするのですが、よく温泉にお誘いを受けるのです。そんな
時、女中さんから、「大風呂の準備ができました」とか「露天風呂もどうぞ」と
勧められるのが、とても辛かったので、「今、一寸疲れているから、もう少しあ
とから」とか「夕飯が済んでから、寝る前にに入ります」などと、つい嘘をつい
ていました。

然し2年前頃から、何だか嘘をつくのがみじめったらしく思えてきて、嫌になっ
てきて、止めました。何もこちらが悪いことをしてるわけでもなく、人を殺した
のでもないのに、ビクビクして、嘘をつくことは無いじゃないかと思いはじめた
のです。
そこである時決心しました。思い切って、いつものようにお風呂をどうぞと勧め
られた時に、「ありがとう、悪いけど、私は 乳ガンの手術をしたので、皆さん
と一緒に温泉に入るのは嫌いなんです。ご免なさいね。」と言いました。

ところが、その時、女中さんが「まあ―、それは失礼しました。気がつきません
で、どうぞお許し下さい。」「本当にご免なさい。すみませんでした」と恐縮し
て、コソコソと悪いことをしたように、うなだれて引き下がっていくのです。
さあ、そうなると又私は複雑な心境にならざるを得ないのです。何でこんなに善
良な人が親切に言ってくれているのに、その人に気まずい思いをさせなければい
けないのだろうと。

昨年の6月18日に私の赤城にある美術館のロビ―にいた時です。何人かのお客
さんがいたんですが、そのうちの50才前後のご婦人が、ニコニコ笑いながら近
づいてきて、「先生のご本を何度も、何度も読ませて頂き、すごく元気をつけさ
せてもらってます。」と挨拶してくれました。とたんに私にはピンときました。
私がたった一冊だけ、病気について出した「ガンと私の共同生活」のことだと。
そこで「あなた、何年?]とお聞きしました。普通の人にはわからないでしょう
が、同病の人にはすぐわかります。発病してから何年経ったかという意味です。

彼女は「18年です」と言いました。「そう、私は5年と3ヶ月よ。でもお互い
に命拾いしてよかったわね」と挨拶を交わしました。
すると彼女は一回りして帰る前にもう一度近づいて来て、「今日は帰ります。又
参ります」と握手をしょうと手を伸ばしてきました。「じゃあ又来年もお元気で
ね」と言いましたら、彼女はぐっと身を乗り出してきて、私の耳元に顔を近づけ
て、囁くようにな声で「先生、温泉に入れますか」と聞いたのです。
その瞬間、私は思わず絶句しました。

私は仕事で講演をしたり、本を書いたりしているが、たった一つできないことが
ある。それは皆さんと一緒に温泉に入れないことなので、それをできるだけ隠そ
う、隠そう、いやむしろ考えまいとしてることをいきなりずばりと聞かれたから
です。
そこが私の変な性格だと思うのですが、次の瞬間咄嗟に切り替えて、彼女に「ね
え、あなた、同じ悩みを持った人がもし10人揃って1,2の3でジャボンと温
泉に飛び込む会があったら入る?」と聞いたのです。そうすると彼女は「是非入
りたい」と言いましたので「じゃあ、とにかく10人集めましょう。皆で入れば
怖くないわよ」「私、絶対温泉に入りたい」「私もずっとそう思ってたの。やり
ましょうよ」ということになりました。

その晩一生懸命に考えました。具体的にどうやって、10人、20人と集められ
るだろうか。まさか一々道に立って通る人に、あなた 乳ガンですか、と聞くわ
けにもいかずと悩みました。その時ハッと閃きました。
「そうだ、パソコンがある。私が70の手習いで始めたパソコンを、こんな時こ
そ使うべきだ」と思いつきましたので、早速ホ―ムペ―ジに「1,2の3で温泉
に入る会」の会員募集とアップしました。

そうしたら、なんと驚いたことに返事がたくさん舞い込んできたのです。日本全
国は勿論、ロスから参加します、香港から申し込みます等々、さすがはインタ―
ネットとその威力にびっくりいたしました。更に感激したのは、男性からも数名
応募があったことです。「実は家内が乳ガンの手術の後、嫌がるので、一度も温
泉に連れて行ってないのです。是非、家内に胸を張って温泉に入る喜びを味あわ
せてやりたいと思うのです。どうかよろしくお願いします。」
私は男性を見直しました。

去年の11月に立ち上上げて、第一回の伊香保温泉行きに50人集まりました。
揃って行きました。そして会の名前と同じように1,2の3でジャボ―ンと温泉
に湯しぶきを上げて飛び込みました。嬉しかったですね。それよりも入ったあと
の皆さんの喜びの声を聞けたのがもっと嬉しかったのです。

25年間で今が一番幸せです。今まではずっと隠していたのです。今、風呂場に
は誰もいないかな。タオルを風呂に入れてはいけないので、タオルで隠して入る
わけにもいかず、なんとか隠しても、立ち上がる時、辛い思いをしてましたが、
誰にも言えなかったのです。

今始めて、無い胸を張って堂々と温泉に入れます。そして、「あなたの傷跡は、
小さいわね、とてもきれいね」とか、「この手術をしたお医者さんは下手糞ね」
とか医者の品定めをしながら、やっぱりお互いに同じ病気をして、お互いによく
ぞ命拾いをした仲間同士ということで、ほんとうに楽しかったです。

パソコンを通じて、全国から入会者が増えて、鹿児島や岩手の方々から、伊香保
じゃ遠すぎるというお声が出たので、旅費だけでも大変だろうと思い、それなら
各地方の支部を作ろうという話になりました。

現在、群馬、埼玉、千葉、東京、関西、多分次は静岡と、手を繋いで一斉にジャ
ボンと揃って入ろうという運動を起こしています。

ただ温泉に入るばかりが目的じゃなくて、これは象徴、シンボルであって、これ
からあとをほんとうに明るく、前向きに輝いて生きていくためです。

いろいろなメ―ルが来ます。「私は 乳ガンじゃなくて、肺がんだった、その他
大腸ガンで人口肛門を使用している、子宮ガンですが、入会させて貰えるだろう
か」とか、なかには「心の傷を負ってるがどうだろうか」とかいろいろな方から
舞い込んできます。

今私は支部のお世話や、そういった方の応対で大忙しの毎日を送っています。
年をとっている、もう若くない、太っている、体に手術の傷跡がある、どんな体
の人でも堂々と誇りを持って生きていこう。差別しない運動を拡げていこうと思
ってやっています。

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IA magazine 素晴らしい人生のために 毎週水曜日発行(週刊誌) No.127

責任■小林 高一 ko-ko@futaba.ne.jp
執筆■ヒュ―マンコミニケ―ションセンタ― 中村豊秀 LDJ04070@nifty.ne.jp
配信■まぐまぐ 0000026706 http://www.mag2.com/

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