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素晴らしい人生のために/今日の応援歌
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[209]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) ===============================
┠●┼┨ 発行/2003.03.03
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 209 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。
ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.209 -
テレビ寺子屋[受け止めて、認めて] 明日飛学園 代表 清水 国明先生
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明日飛学園の子供達はおおいに工夫して遊んでます。秘密基地作りを作ったり、
半地下で1メーター50くらい掘ると冬、とても暖かい。マウンテンバイクのコ
ースを作ったりしている。スキーのジャンプ台も作る。雪は冬4,5回ドカッと
降るのだが、子供達は喜んで、裸足で飛び出して走り回ったりしている。
渓流でやまめや、いわなを釣って食べたりする。

心に傷を持つ子供から、相談をよく受ける。不登校、引きこもり等、一日4,5
件ある。電話、FAX,メールや、なかには親子で相談にくることもある。全国
で小、中学生で13万人学校にいかない子供がいると言われている。話を聞いて
みると、みんな感性豊かでいい子供いい子だ。
何故傷ついたか。一番の原因は親子関係だ。一生懸命やっているがボタンの掛け
違いが殆どだ。

友達に孫ができた。嫁いだ娘さんに赤ちゃんができて、孫を見せにやってきた。
そこに遊びにいくと、家中に愛情が満ち満ちているのを感じた。
それと比較すると、この子供達は、もしかしたら無条件の愛情をうけなかったの
ではないかと思った。

ある相談を受けた女の子はとてもひどい自己否定の子だった。前髪が顔を半分覆
っていた。自分は何もできない。人に劣っていると思いこんでいる。小さい時の
あるシーンが頭にこびりついている。3才の頃、坂の上の高台にすんでいた。
ある夏の暑い日にお母さんが1才の妹を背中に負い荷物を二つ持って坂道を登っ
ていた。自分はお母さんが大変だなと思ったので、一つ持って、後ろからついて
行ってたのだが、途中で足が痛くなったので、「足が痛いよ」と言った。すると
お母さんが「私の方が赤ちゃんをおんぶして、大きな荷物持っているのだからも
っときついのよ」と言うんです。しかし、私は、私も大変だけど、お母さんの方
がもっと大変だろうと思ってたのです。ただ足が痛いと言っただけなのです。
歩きたくないとも、荷物が重くて嫌だとも言ってないのです。ただ足が痛いと言
っただけです。

もし皆さんがこのお母さんの立場だったら、先ず、「足が痛いの?。暑いし、大
変ね、少し休もうか」と言ってみてほしいのです。素直に先ず受け止めて、それ
を認めてあげるということが、どんなに大事かということです。

アメリカの実験で、10メーター四方の柵を作り、その中に一匹の子羊を入れ、
四隅に餌を置いておき、そこに近づいたら、軽い電気がピリピリと感ずるように
したのです。
子羊は驚いてそこから離れて、おびえてばかりでした。

今度は、その子羊の双子の兄弟の子羊と親の羊を真ん中に置いてみました。する
と子羊はやはり餌に近づき、ピリッとして驚いて、親のところまで帰って来て、
ただ擦り寄るだけで、又癒されたように餌のところに何回でも向かうという結果
がでております。つまり親のいたわりが大きい力をもっているかという証明にな
るという実験です。

不登校な子供でも、「何で、何故いかないの。行かなきゃ駄目じゃないの」と決
めつけないで、「ああ、行きたくないの、何か行きたくないくらいつらいことが
あったの」と一度受け止めてから、相談に乗ってあげるというぐあいにしたらい
いと思います。

ある女の人がどうしてもうまくスカーフが巻けないのです。ところが、ふとした
ことからわかったのですが、その人が生まれてくる時、へその緒が首に巻き付い
て、大変だったということがわかったのです。それがわかってからうまく巻ける
ようになったそうです。

親がなにげなく、不用意に言った一言が影響することがある。例えば、「男の子
だったらよかったのに」なんて言うと、それを聞いた子供は、「ああ、私は女の
子ではいけないんだ」と事故否定になるケースもある。
又、本が好きで、一生懸命に読んでるのを、「この子は本ばかり読んで」と叱る
と、「ああ、私は何か夢中になってはいけないのだ」と受け止めることになる。

親から受ける禁止令で、子供が「ああ、自分はこれをしてはいけないのだ。」と
思いこみ、ひいては、なにも積極的にやろうとしなくなる。つまり、親が子供の
可能性を否定してしまっていることになるのです。

ある耳が聞こえない子供に、お母さんが手話ができない人の気持ちはわからない
だろうから、読唇術を覚えさせようとして、「これから手話を一切使ってはいけ
ない」と約束しようと言ったそうです。子供も納得して、一生懸命手話を覚えま
した。

ある夏休みの日お母さんがごろんと横になっていましたら、その子がうしろから
抱きついてきて、前に廻って手話で話しかけてきたので、「駄目じゃないの」と
その手をぴしゃんとぶったのです。その瞬間その子供がおびえて、後ろ向きにな
って、泣き出したのです。
お母さんはハット思った。実はその時、手話で、「お母さん、有難う」と言って
たのです。ああ、私はこの子供のために良かれと思って手話を使ってはいけない
と言ったけど、こんなに優しい子になってるじゃないか、と反省して、すぐその
子供を抱きしめて、「ごめんね、お母さんが悪かった。もうこれからは、手話で
も読唇術でもどちらでもいいのよ」と言ったそうです。このお母さんがすぐ気が
ついたからよかったと思います。

もしこの時、「約束したじゃないの」と言ったとしたら、きっと、その子供の心
は傷ついてしまっただろうと思うのです。

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[210]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) ===============================
┠●┼┨ 発行/2003.03.10
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 210 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.210 -
テレビ寺子屋[アグネス論争から15年] 歌手・教育学博士 アグネス・チャン
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今度「この道は丘へと続く」という本がやっとできました。実はこれは私の博士
論文なのです。1994年に書いて、99年にアメリカで出版したのですが、そ
れを今度他人に翻訳してもらって、やっと日本で出版できたので、とても嬉しく
思っています。

女性にとって仕事と家庭とがうまく両立するのが、なかなか平坦にいかないとい
うことです。ちょうど坂道を登るような状態なので、私のデビュー曲の”丘”に
ちなんで、「この道は丘へと続く」と本の題名を決めたのです。
男はできるのですが、女は、難しいのです。
家庭だけの人がほとんどですが、仕事に油が乗ってきた人、あるいはキャリヤの
人がこれを無駄にしたくないから、両立したい、そんな人生を送りたい、と思っ
ている人にとって、現在はまだ至難の業です。苦痛を伴う場合が多いようです。

私は大学を卒業してから仕事をしながら、結婚して子供もできたので、あと1年
くらいこのままにしておいて欲しいと言ったのですが、子供を連れて行ってもい
いですかと聞いたら、いいと言われたのでそうしたら、アグネス論争が起きたの
です。要するに女性は結婚したら家庭に入って子育てに専念した方がいい。働き
たかったら結婚しないでやればいい。

もう一方では、今は少子化だから、女性の労働力も大切だし、女性を解放しない
と、反抗して子供を産まないからという説と二つありました。私は正直言ってよ
くわからなかった。なんでこんなことが起きたのだろうと。これがアメリカのタ
ウン誌に載ったのを見た私の友人が、よく知っているスタンフォード大の教授に
この問題について話をしたところ、男女学、経済学の勉強をしたらいいと言われ
た。そしてスタンフォード大学の博士課程の勉強を勧められた。
夫に相談したところ、やってみなさいといわれたので、挑戦することになった。
ところがその時二人目の子供を妊娠してたので、そのことを話したら、赤ちゃん
が理由とはおかしいと言うんです。事実、アメリカではお腹が大きい学生がたく
さんいます。男の学生が赤ちゃんを負ぶって来たり、育児設備も整っています。
アメリカの女性は逞しいです。楽ではない。でも自由です。

この時、東大卒とスタンフオード大卒の人達の10年後の変化を追跡調査をした
博士論文がこの本です。先生はスタンフォード卒の調査です。

両者の似ている点は、フルタイムで同じ条件、資格を持っているのに、男100
%に対して女は80%しか稼げない。

違う点は、日本では管理者は男が多いが、アメリカはそうではない。
日本では働いていない女性が多い。24%が働いていません。専業主婦です。
何で仕事を止めたかとアンケートをとってみると、夫が辞めろというのが一番。
第2はご主人がやはりエリートが多い。従って海外勤務が多いので、いっしょに
行くために仕事をやめた。
次は子供ができて、子育てが終ったら仕事がなくなった。最後は、プライドがあ
って、パートの仕事ができない。
もっとも悲惨なのは、会社に止めさせられたこと。結婚したらもうそろそろと声
がかかる。妊娠したら、そろそろ、子供ができたら、そろそろとなる。

一方働く女性にとっての悩みは、勤務時間が長い。保育制度が足りない。
フルタイムで働いている人は親に預けている。それで、産まないということにな
る。少子化につながる。
私は国会にも呼ばれました。どう関係があるか。子供育てながら働けないのは普
通。結論一時的。
日本は1.3で、アメリカは2.08です。二人以上産んでる。移民の関係もあ
るけど、成熟社会です。女性が前向きです。賃金は働く状況によってきまる。医
者、大学教授、管理職等。頑張ればよくなる。
日本は会社の大きさによってきまる。でもほとんどが小さい会社に働いている。
状況次第だから、前向きになれない。
アメリカは女性の管理職が結構多く、そんなに差がない。しかし、日本はその差
が大きい。

アメリカでも、男が育児をしているのは少ないが、その代わりに家事をしてくれ
ている。週に16時間位だ。日本では4時間といっているが、どうも嘘をついて
いると思う。東大卒はやっていないと思う。女性は、育児、家事をやり、その余
りを仕事をしている。かなりきつい。

唯一、やってくれるのは、日本でも、収入が夫婦大体一緒の家庭、あるいは男性
が時間に余裕のある仕事をしている家庭です。力関係があると思う。
一番大事なのは、男性の意識改革だと思います。育児休暇もあるのだが、日本で
はあまりとる人はいない。俺がとったら仕事が続かないと言う。あるいは、とる
べきでないという意識が強い。

男も女もいっしょの能力を持っているのだから、二人でいくべきだ。男のエネル
ギーが家庭に必要だ。日本が世界で一番遅れているのは、女性の労働力をフルに
活用していないことだ。100%ひきだしていないことだ。
そうしたら、もっと日本の経済もよくなると思う。その原動力は、家庭の男性の
パートナーシップにあると思います。

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[211]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) ===============================
┠●┼┨ 発行/2003.03.17
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 211 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.211 -
テレビ寺子屋[学校好きなお母さん] あのね子供相談室 主宰 鹿島 和夫先生
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現場の先生方に聞いた、最近のお母さん方の学校に対する考え方について話して
みたいと思います。
先日ある学校の授業参観日に行きましたら、お母さん方が教室の廊下の所にずっ
と並んで列を作ってお喋りをしているんです。何をしているのかと思って、教室
を見たら、先生が授業しているんです。
しかし、生徒達はかなり行儀が悪いようでした。つくづく現場は変ったな、と感
じました。私は現役の頃は、参観日にお母さんにも子供達と同じように当てて、
読んでもらったり、考えて貰ったりしました。そうして、一緒に勉強してもらう
と、いつ当てられるか緊張感も出るし、賢くなるし、一挙両得です。
何を考えているのかと思います。学級崩壊じゃなく、参観日崩壊と思いました。
主体性を持たずに流されているのではないでしょうか。もっとも、あのお母さん
方は昭和40〜50年代に、小学校に行ってたのではないかと思うと、丁度その
頃、私も現役の教師をしてましたので、罪なことをしたなと思いました。
もっと学校に協力して欲しいと思います。

誰でも、自分の子供をもっと賢くなって欲しいと思っているのなら、お母さん方
がもっと賢くなって欲しいと思います。もっと学校を好きになって欲しい。そう
すると子供達にいい影響を与えることができます。
担任の先生について好き嫌いを言うお母さんがいますが、少なくとも、好きにな
って欲しい。嫌でも、子供の前では好きの振りをして欲しい。

子供がこんな文を書いてます。題は「先生」。
「僕の先生は背が高くて、走るのも早くて、かっこいい。だからお母さんは好き
だと言ってます。参観日にはどんな服を着て行こうかと迷ってます。妹の先生は
ずんぐり、むっくりで年寄りだから、行きたくないと言ってます」
始業式に担任の先生が決まると、「今度の先生は誰?」と聞いて「ああ、あの先
生は好きや、あの先生は嫌やわー」と言ったりしてますが、どうぞ子供には「素
敵な先生よ」と言ってほしい。

もっとも先生にも言い分があるのです。新学期や、参観日になって教室に帰って
くると、「今年は当たりだとか、はずれだ」とか言ってますから、どっちもどっ
ちですね。景色がいいとか、悪いとも言います。やはり綺麗なお母さん方がずら
っと並んでいる方が授業にも張り合いがでるのは事実です。

泰秀君が書いてます。
「先生と話し合い。うちのお母さんは、先生との話し合いはいつでも喜んで行く
といいます。何でやと聞くと、先生が好きだからと言う。けど僕はそうは思わな
い。なぜかと言うと、先生はいつもべっぴんが好きと言ってます。でも僕のお母
さんはだめだろうな。なぜかと言ったら年をとってるからな」
なるほど、泰秀君のお母さんは、皆のお母さんより少し年をとってました。それ
で私はその返事に
「君のお母さんは昔は綺麗だったよ。安心して下さい」と書きましたら、きっと
それを読んだんだと思いますが、それからそのお母さんがおしゃれになって、フ
アッションにこりだしました。黒と白、紺、赤とフランスの国旗みたいなのを着
て、やってきました。
学校を大事にしたら、身だしなみもよくなると思います。

少人数学級を作ろうとしたら、お母さん方から、「差別になる」というので、反
対意見が出ました。そこで、一辺、実際に見てもらうことになりました。そうし
たらとてもよいということがわかって、賛成ということになりました。認識が変
ったのです。理解してくれたら協力してくれるのです。

一年一組に在日朝鮮人のせいてつ君と言う子供が入ってきました。ところが、い
つも一人ぽっちで、全然他の子供達となじまないのです。作文も「鼠が死んだ。
蝿が公園のようにして遊んでいた」とか、暗いことしか書かないのです。
それでそのことをお母さんに相談しました。するとそのお母さんが
「あの子は、きっと日本人の学校に迷っているんでしょう。今まで朝鮮人の幼稚
園に行かせてました。小学校から日本の学校へ入れたので、どうも何か自分と違
うと今迷っていると思います」と言うのです。
それから、そのお母さんは家で、せいてつ君に「人間はみな平等なんだ。同じ勉
強をするのだ。自分が子供の時、堂々と生きてきた」と、その人生観を諄々と話
して聞かせたそうです。それから彼は変りました。

「お母さんは、僕に嫁さんはブスを貰えと言います。美人は三日したら飽きる。
だがブスは三日したら慣れるからだそうです。ほんなら、きっとお父さんは慣れ
たんやな。でも僕はやっぱりべっぴんがいいな」
「お母さんはよその人に独身と言われて、とても喜んでいる。けど、年とった独
身もいるのに。結婚してる人は独身が好きらしい」
「お母さんが安い化粧品を買ってきた。お父さんが、ようやく高いのを使っても
美人にならへん、無駄だと悟ったんだな、と喜んでいた。だが、その安い化粧品
はおとうさんのヘヤトニックだった」

ある時、お母さんの仕事について、みんなで話し合いをした。「炊事、洗濯、料
理、掃除、お化粧、お風呂、テレビ、昼寝・・・」がでた。するとそれはおかし
いという意見が出た。
そこで私が「じゃあ、お母さんの仕事とはどういうもんだろう」とみんなに問い
かけたら、みんながすぐ答えられずに黙っていた。するとせいてつ君が「仕事と
いうのは、人のためにやることです」とはっきり言いました。あの閉ざされた子
供が立派に開放されたのです。

子供がお母さんに「お母さんの楽しみって何?」と聞いた。
「そうね。どんな料理を作ろうかなとか、考える時なんかとても楽しみよ。生き
てるうちになんでも考えなくちゃ、頭が錆びついてしまうからね。」
「そうか、僕は遊ぶ時だけが楽しみだと思っていたけど、仕事や、勉強の中にも
楽しみがあるんやなあ。これから、どんどん楽しみを増やそう」
お母さん自身が学んでいる。

今、一番欠けていると思うことは、先生に対して感謝の気持ちが薄くなっている
ということではないかと思います。少なくとも、自分の子供を教育してくれてい
るんだから、感謝してもいいと思う。
若い女の先生が泣きながら訴えてきた。どうしたのかと思ったら、
「あんたは気にいらないから辞めて下さい」と、あるお母さんから、直接言われ
たと言うのです。
もう少し考えて欲しいと思います。

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[212]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) ===============================
┠●┼┨ 発行/2003.03.24
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 212 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.212 -
テレビ寺子屋[旅人が見た世界] 旅人 奥平 正和先生
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200CCのバイクに乗って、世界を一人で旅して、いろんな体験をして来まし
た。やはり過酷だったのは、アフリカ大陸を一周して、ユーラシア大陸を一年7
ヶ月かけて横断するコースでした。
さすがにアフリカのサハラ砂漠の真ん中は何もありませんが、それ以外は250
キロから300キロくらい走りますと、大抵村か町があり、千人か二千人くらい
が住んでいるところがあります。そこまで行くと、ガソリンや、食べる所、泊ま
る所もあり、何とかなるもんです。
でもガソリン一つとっても、日本とはかなり事情が違います。さしずめ、日本な
ら、ガソリンスタンドでノズルを給油口に差し込んで引き金を引けば、自動的に
ガソリンが出てきます。そして満タンになったら自動的に止まります。

然しアフリカの多くの所では電気が来ていません。あるところでは、ガソリンス
タンドと思われる所にドラム缶と一本のホースしか置いてません。どのようにし
て給油するかというと、自分でホースでガソリンを吸い出して、バイクの給油口
に入れていくんです。
ある時、なかなかうまくいかないので、つい吸いすぎてゴクッと飲み込みそうに
なって、慌ててペッと吐き出しました。その時始めてわかったのですが、ガソリ
ンってまずいもんですね。
道路の脇で、おばちゃんが座っていて、その前に酒ビンを、2,3本並べていて
その中に汚れたガソリンを入れて売っているんです。少々不安ですが、外に無い
ので、仕方なくそれを入れるよりほかはありません。兎に角、何とかなるもんで
す。

アフリカの住民の住まいは藁葺きの屋根で、土壁のマッシュルームのような小さ
な家で、みんなははだしで飛び回っています。私が行くと珍しがって、大勢の人
が集まってきます。何百キロか行くと町らしきものがあり、ホテルもあります。
と言っても一泊300円か400円位です。エチオピアとスーダンの国境近くの
小屋のような宿では、60円位です。ガンビアで300円位です。
ベッドが一つポツンと一つだけあって、シーツはいつ洗って代えたのかわからな
い状態です。シャワーは有ったり、無かったりです。無い所では、バケツ一杯の
水が一つだけ、用意しています。これ一杯で頭や体を洗ったり、洗濯も済ますの
です。シャツとパンツと靴下は毎日洗っていました。洗って置いとくだけで、す
ぐ乾くのです。
さて、ベッドで寝ると、体中が猛烈に痒いのです。ダニ、シラミが一杯いるので
す。そこで、私はいつも用意してある殺虫剤をベッドと、部屋中に一杯振りかけ
てドアを締め切って、ご飯を食べに行くんです。すると、虫は大抵いなくなるの
ですが、今度は自分までも息苦しくなって、ゴキブリになった気分で、目が覚め
たりしました。

飯屋ではトウモロコシをすり潰して粉にして、それを水で練って団子にして蒸か
すと、ふっくらした白い団子になります。それが主食で、おかずは肉野菜の煮込
みスープです。大体どこに行っても同じです。
真っ暗闇の中で、ローソクをポツンと立てて、懐中電灯を脇の下に挟み、炭火の
上で、フライパンで卵焼きを作り、パンにマーガリンを塗って、それで40円位
です。

ホテルの部屋が又、猛烈に暑いのです。内陸で日中は43〜45度位です。50
度まで計れる温度計を地面に置いたら振っ切れる状態です。上を脱いで裸で走っ
たりもします。夜になっても余り下がらず、37度位あります。丁度、料理が終
ったあとのガスオーブンの中のようなものです。
どうにも寝られないので、シャワーがあると、服を着たまま水をかぶってびしょ
濡れになり、ベッドにはバケツで水を汲んできて、バシャバシャ水を撒いてその
上で寝るのです。
するとおねしょをしたまま寝てるようで、確かに気持ちは悪いのですが、冷やっ
として、ドンドン水が蒸発して、その気化する時に熱が奪われて、少し涼しくな
り、2,3時間は眠れるのです。
その内に乾いて、又暑くなって、目が覚めたら、さっきと同じようにして、水び
たしになって寝るのです。一晩に3回やったこともあります。

昼間40何度の中を走り回ってフラフラになってますと、たまに40度を下回る
と、今日は凌ぎ易い、涼しいなと感ずるようになるものです。日本では35度と
いうと、猛暑と言いますが、アフリカでは凌ぎ易いと言うのです。

アフリカからユーロシア大陸を1年7ヶ月かけて廻って、ウラジオストックから
富山の伏木に帰って来て先ず感じたことは、未来の都市に来たような気がしまし
た。道路が平らで、実に綺麗です。車がみんなピカピカです。誰でも携帯を持っ
ているし、道を走ると両脇には、焼肉屋、ラーメン屋、回転寿司、コンビニが軒
並みにズラっと並んでいて、凄い国だなと思いました。
アフリカやシベリア、ロシアはとても貧しい国です。それにひきかえ、日本は何
と豊かな有難い国でしょう。ところが新聞やテレビでは、不況、不況、やれ景気
回復はまだまだだと言っていますが、一体どこが不況なんでしょうか。みんな三
度、三度ご飯を食べて、どの家庭にも水があり、お湯も出るし、布団の上で寝て
いるし、テレビ、冷蔵庫、洗濯機があり、家族でレストランに行く。
まるで天国みたいです。世界にいま63億位の人口がいますが、丁度ピラミッド
のような形で、殆どが日本よりはるかに貧しい状態で、こんなにぜいたくな暮ら
しをしているのは、アメリカの一部とヨーロッパの一部と日本位のものです。世
界で言えば、ごく一部分です。にも拘らず、不況、不況と言うのは少しおかしい
のではないかと思います。

この世の中は全て「二元性」で成り立ってます。光と影、陰と陽、男と女、表と
裏、上と下、右と左、天と地というように全く相反するものがあります。
セネガルからギニアの途中でバイクが転倒して駄目になり、仕方なく何時間も歩
いて、やっとある部落にたどり着いて、夢中になってそこにあった少々濁った水
をがぶ飲みしました。その時水って何て有難いのだろうとしみじみ思いました。
南アフリカで冬、野宿した時、猛烈に寒くてありとあらゆる服を着て、レインコ
ートも重ねてもどうにもならず、ガタガタ震えながら夜明けを待ちました。やっ
と朝になり、太陽が出てきて少しづつ気温が上がってきた時、しみじみ太陽の有
難さがわかりました。
思わず「お天道様有難う」と叫びました。

1年7ヶ月ぶりにウラジオストックから日本に帰ってきて、ここまで来れた。
しんどいことがあって、始めて喜びがある。お袋と弟と3人で回転寿司に行った
時、夢中になって、これとこれ、マグロと蛸と手当たり次第に食べるので、お袋
が「恥ずかしいから、いい加減にしなさい」と私を引きとめました。でも寿司を
食べたい、食べたいと夢にまで見てたのですから、仕方がありません。

喉がカラカラな時の水の有難さ、寒い時の朝の太陽の有難さ、今の日本の子供達
は、子供の時から部屋を与えられ、テレビ、自転車、ゲーム、何でも有って、物
の有り難さがわからない状態に置かれていると思います。ご飯を要らないなんて
ことを言う。
ちょっと雨が降ったら、お母さんが車で送ってくれる。エアコンやヒーターがあ
り、およそ「ひもじい」とか「しんどい」とかを全然感じたことがなく、快適、
便利さに取り囲まれていて、本当の有り難さが判らないと思う。
寒い日はすぐお湯がでてくる。子供等に幸せを感じさせ、本当に生きててよかっ
たと思わせたかったなら、その前の段階で死にそうなひもじさとか、凍えるよう
な寒さを体験するのが一番いい。なのに、それを何にも知らないから、思いやり
とか、感謝の心が出てこないのです。これは大事なことです。

有りすぎる不幸とでもいうのでしょうか。中に入っているとそれに麻痺してしま
って、わからないのです。
世界から輸入してゴミにして捨てている文明、このおごりを見直さないといけな
いと思います。自分達にとって、何が大事か。
過ぎたるは及ばざるが如しといいますが、もう一回思い起こしてもらいたい。

考え直して見ること、振り返って立ち止まり、修正する必要が有ると思います。
今から30年前は、何もなかった時代で、風呂も薪を燃やして沸かしていたので
す。
もっと、感動する気持ちを持とうではありませんか。

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[213]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) ===============================
┠●┼┨ 発行/2003.03.31
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 213 号】
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----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.213 -
[生きるということ] 作家 平岩 弓枝さん
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”桜の24時間を8つの人生に”

私はテレビの仕事をしていましたが、その際、いつも私を理解してくれる仲間と
一緒に仕事ができました。そして、その仲間たち、一人一人の考え方のなかから
「これが自分の人生を力一杯生きるということなんだな」ということを悟ってい
ったようないったような気がします。その話をひとつ紹介します。
私は「花の影」という、桜の人間が主人公の小説を書きました。なぜそんなこと
を考えたか。私は人間の心のなかの小さな喜びや悲しみの積み重ねを書くのが好
きです。それを一生懸命書いていくと、いつもひょっとぶっかるのは戦争です。
戦争は人間を大きな悲しみのなかに叩き込んでしまい、小さな悲しみは相手にさ
れなくなります。ところが現代の人間の一生を書いていくと、どうしても先の戦
争にぶっかります。これは仕方のないことで、それで私は比較的一生物をあまり
書かないできた作家です。

ところが、ある桜専門に撮っているカメラマンとの座談会の折、その年でその桜
がもっとも力一杯咲き誇って美しいのは、たったの24時間だと知りました。
それがヒントになって、桜の24時間を8つにわけて人間の10代から80代に
当てはめ、それぞれ別個の短編小説を書いてみよう、そして一人の女性を描けば
歴史や社会の動きと無関係に、人間の喜びと悲しみの断片をつなげて書いていく
ことができるのではないかと思いました。

書き終わった頃、「平岩弓枝シリーズ」のプロデューサーが「この物語をテレビ
ドラマにしょう」と言いました。3年に分けて桜のシーンをロケすれば可能だと
いうのです。3回も春のロケができるなら、さぞかしきれいなドラマができるん
じゃないかと思い、やることに決めました。ところが、スタッフ全員が桜に振り
回される結果になりました。

”雨の3輪、花散る嵐”

2回目は30代でした。信州・高遠城の小彼岸桜で、山本陽子さんが主人公でし
た。スタッフは張り切って、暮れの内から観光課にロケの許可を取り、「いつに
なったら咲きますか」という電話を盛んに入れました。
どうもこれがまずかった。「咲きました」と連絡をいただいて行ってみると、わ
ずか3輪が咲いていただけでした。
「3輪、ともかく昨日咲いたので、とりあえず、お待たせしたと思って電話をし
ました」とのこと。結局出直して、一週間後になんとかロケができました。翌年
は鹿児島の磯公園の桜でした。1回目からそんな騒ぎでしたから「満開になって
から行こう」と頑張りましたら、待ちすぎて最盛期になっておりました。なぜか
嵐が来て桜が枝ごと折れて飛んでいってしまいます。
この回のヒロインは夏目雅子さんでした。彼女は着物の裾を押さえて桜の下に立
ちながら、「先生、桜が散ってしまう。咲いたばっかりなのに散ってしまう。桜
が死んでしまうみたい」と、世にも悲しげな声で何度も私に言いました。そんな
思い出を残して、2年間の桜ロケを終えました。

”凍りついた花びら”

3年目です。最後に残っていたのは、アメリカ・ワシントンのポトマック川の桜
でした。あんまり綺麗だったので、70代と50代の2度使ったのが運のツキで
した。はたしてスタッフは緊張しました。やがて日本大使館から咲きましたと連
絡が入りました。先発隊に続いて本隊も出発しました。ところが本隊出発の日、
ニューヨークは時ならぬ大雪です。着陸できるかどうかわかりません。
それでも兎に角行こうと出発しましたが、心配なのはワシントンです。ワシント
ンの桜に雪が降ったら大変なことです。

ニューヨークでロケ隊と別れて、私は一足先にワシントンに飛びました。上空か
ら見るとワシントンには雪がありません。ニコニコして降りていくと、空港にカ
メラマンとディレクターとプロデューサーが不機嫌な顔で待っていました。「現
場へ行ってから説明します」。
タクシーでポトマック川縁に行くと、一面に白い桜並木です。
「まあ、綺麗じゃない」と言いましたら、カメラマンが「傍へ行ってよく見て下
さい」と怒っているので、木の下へ行って見て、思わず私も「あーっ」と叫びま
した。
桜がほぼ満開の時に、いきなりマイナス18度まで気温が下がったため、花がカ
チカチに凍り、日が出て気温が緩み、おかげで花が全部下を向いてしまったので
す。誠に汚い風景です。アップは撮れません。
やむなく、「引きの絵で撮りましょう」とスタッフを励まして、夕方ホテルに帰
ってきました。

”ポトマックの花吹雪”

ロケ隊は到着してました。みんな部屋に入って誰もいなくなったロビーに、梅ち
ゃんという小道具係りが一人、ポツンと座っていました。本名は梅田君です。
桜の具合はどうかと聞くので、事情を説明すると、彼は横に積んであった大きな
ダンボールを開け、覗いて見て下さいと言いました。見て、私は思わず「梅ちゃ
ん、これ日本から持ってきたの?」と言いました。それは手に取って見ても本物
の桜とまったく同じでした。布を花びらの形に一つ一つ丁寧に切り抜き、細い針
金を芯に通したものに、それを1枚づつ縫い付けてありました。
その手仕事でできた桜がダンボール三個にぎっしりと入っていました。

「2年間、僕らは桜、桜で飛び回りました。3年目に残ったのがワシントン。小
道具係として何ができるかを考えました。そして桜の造花を思いついたのです」
彼は布地を探し、女性の花飾りを作っている職人さんの指導を受け、1枚づつ花
びらを切り抜いて桜を作りだしました。10ヶ月くらいかかったそうです。それ
はそうでしょう。昼間はテレビ局で仕事をしている人です。桜作りに励めるのは
帰宅後だけです。おそらくラストは徹夜だったに違いありません。

「付け方も研究し、カメラテストもさんざんしてきました。これならアップも撮
れます。これを桜の木に付けますからお任せ下さい。」しかし、アメリカではポ
トマック川の桜を、日米友好のしるしとしてとても大事にしており、木に登った
り、枝を折ったりすると、すぐ警察に捕まってしまいますので、できません。
ところが「大丈夫です。夜明け前の真っ暗闇にやりますから」と彼はやる気まん
まんです。

翌朝午前3時。
マイナス10度近い寒気の中を、彼はスタッフと出て行きました。私は5時近く
まで待って俳優さんと一緒に行きました。川縁は梅ちゃんの桜で満開になってい
ました。カメラマンも嬉しそうでした。そんな中でロケが始まりました。緊迫し
たロケです。
夕方になって、財津一郎さんが70代の佐保子役の杉村春子さんの乗る車椅子を
押しながら、川縁を歩いて昔話をする演出のところにきました。ディレクターが
「桜吹雪が少し欲しいな」と言いました。プロデューサーも頷きました。梅ちゃ
んが走ってきて「桜吹雪が欲しくないですか」。布袋に彼が作った花びらがぎっ
しり入っていました。
「僕は花吹雪の稽古をしてきました。自信があります。やらせて下さい。ただ先
生にお願いがあります。木へ登ると警察が来ると思います。僕が捕まると、小道
具僕一人なので、明日からの小道具がわからなくなるので」
「わかった。こんなすごい桜を作ってくれたんだもの。パトカーが来たら私が乗
って行く」と言いましたら、嬉しそうな顔をして袋を背負って木へ登って行きま
した。
そして本当に絢爛たる桜吹雪を作りました。その桜吹雪の中で、最後のロケが無
事終りました。

「それ、早く帰ろう」と、みんなで片っ端から桜を外してホテルに逃げ帰り「良
かったね、パトカーが来なくって」と大笑いしました。
実は翌日、大使館で聞いたのですが、警察が来なかったのは、たまたまロケ日が
イースター前の休日で、官公庁から全部警察から全部お休みだったそうです。
「知らないでやったんですか、度胸いいなあ」と参事官の方に笑われましたが、
ともかくも一週間のロケを無事に終えて帰ることができました。

”使わずにすんだら良かったんですけれど”

帰りの飛行機で、梅ちゃんに「本当に有難う」とお礼を言ったところ、彼は何の
てらいもない声で「使わずにすんだら良かったんですけれどね」と言いました。
ショックでした。確かにその通りです。ポトマック川の桜が咲き誇っていたら、
彼が10ヶ月もかけて作った桜は、全くの無駄です。彼は無駄になる可能性がた
くさんあるにも拘らず、万が一の時に小道具係りとして何が出来るだろうかとい
う思いで、誰にも言わずに桜を作り、アメリカに持ってきた。しかも、お礼を言
った私に対して誠に自然な声で「使わずにすんだら良かったんですけれどね」。
この若い人はなんとすごい人生観を持っているのだろうと思いました。

私の恩師長谷川伸先生は「人間の生きる方法、人間が生き甲斐を見つける方法、
それはそんなに難しいものじゃない。自分が今、何が出来るか、それをひたすら
考えていれば、自然に答えが出てくるものだ」と口癖のように言っておられまし
た。
まさに梅ちゃんの生き方はそうだったんだなという気がいたします。

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IA magazine 素晴らしい人生のために 毎週水曜日発行(週刊誌) No.213

責任■小林高一/インプットアルファ現代情報研究所 ko-ko@bb.futaba.ne.jp
執筆■中村豊秀/ヒューマンコミニケーションセンター LDJ04070@nifty.ne.jp
配信■まぐまぐ 0000026706 http://www.mag2.com/ 登録と削除もこちらから

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