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素晴らしい人生のために/今日の応援歌
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┠●┼┨ 発行/2004.07.07
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 227 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。
ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.227 -
テレビ寺子屋[アグネス流英語の楽しみ方] 歌手&教育学博士 アグネス・チャン
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皆さん、こんにちは。中村 豊秀です。

今日は私達が日頃どうも苦手だなと思っている英語の習得法について、積極的な
考え方で、具体的な方法論を、自分の体験談を通して教えて下さっているので、
大変勉強になりました。ある意味で「目からウロコ」という気がいたしました。
皆さん方の感想もお聞きしてみたいなと思います。

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今日は私の英語の楽しみ方ということでお話ししてみたいと思います。私は香港
で生まれました。香港は1997年までイギリスの植民地でしたので、英語は国
語のようなものでした。私は広東語では「チャン・メイリン」というのですが、
英語ではクリスチャンネームで、「アグネス・チャン」と言います。これは本名
で、パスポートもクレジットカードもこれです。
私は小さい時から広東語と英語と二つの言葉を使って来ました。私は日本人の夫
と結婚しましたが、彼は中学、高校、大学と合計10年間英語を勉強して来まし
たが、まだあまりうまく喋れません。アメリカ人は10才の子供でもベラベラ喋
れるのに、自分は大人になってもなかなかうまく喋れないと嘆いています。

私は中学になってから英語を勉強し始めましたが、好きだったから、比較的楽し
みながら、上達したと思うのですが、英語を嫌いな友達は苦労して、大変な思い
をしてたようです。今日本では、英語教育が盛んで、小学校からというようにな
りつつあるようですが、私は賛成なのです。
耳や舌が柔らかなうちに遊びながら、歌いながら楽しみながら覚えるからいいこ
とだと思うからです。
語学は怖がらないことです。そうすると、当然拒否反応が出て、心理的に心が閉
ざされてうまくいかないのです。
友達はそうしなかったから手遅れなったのです。

私が日本に来たのは17才の時で、レコード会社の人が最初に教えてくれた言葉
は「私はお腹が空きました」と言う言葉でした。これさえ覚えていれば死ぬこと
はないからということでした。でもその時、長い言葉だなと思いました。英語な
ら「I am hungry」中国語なら「我要吃」で済みます。

私が日本語を勉強し始めた時、有利だと思いました。それは、英語が出来るから
アルファベットが書けるのです。ということは、つまりローマ字が書けるという
ことです。そこでカナを全部ローマ字で書けます。また漢字をつかってたから、
多少は違うが、大体日本の漢字の意味がわかる。繋げば大まかな意味がわかる。

さあ、そこで皆さんはこの反対を考えてみたらどうでしょう。
日本語はひらがな、カタカナ、漢字とたくさん文字がある。アルファベットは殆
どの人が知っている。つまりローマ字が書ける。これはある意味で英語です。

おまけにカタカナ英語が氾濫している。ホットケーキ、ホットドッグ、ミルク、
ホワイト、レッド、そこらじゅう英語だらけです。 nightgame をナイターと言
ったりもしてます。

そこで皆さんが英語をマスターしようと思ったら、第一に単語を覚える必要があ
ります。ところが、さっき言ったように日常カタカナ英語だらけです。朝から晩
まで片っ端から、思いつくままにカタカナ英語を書き出していったら小さなノー
ト一杯くらい書き出せるでしょう。今度はその下に英語の正確な単語を書いてい
くわけです。そして一日たとえ10でも5つでも覚えていくのです。

料理と一緒で、基本が単語というわけです。チンジャーロースを作ろうと思った
ら、ピーマン、肉、筍の外、道具として、お鍋やお皿やお箸とか、塩、胡椒、調
味料もいるでしょう。しかしそれは次の問題です。先ずは単語を並べて自分の言
いたいことが何とか表現できるようになったらしめたものです。

第2のステップは英語らしい発音です。
それには先ずカタカナをそのままでいいから、なるべく早口で発音するのです。
するとだんだん英語らしくなってきます。
私の両親が東京に来た時ですが、父は英語がペラペラなのですが、帝国ホテルと
早口で言うと、なかなかタクシーの運転手に判ってもらえなくて困ってました。
そこで今度は母が一語づつ「テ、イ、コ、ク、ホ、テ、ル」とゆっくりと発音す
ると一発でした。
つまり、カタカナを早く言えば英語らしくなるし、ゆっくり言うと日本語になる
ということです。おまけに書いているうちにスペルも覚えて、一石二鳥です。

第三に耳を鍛えるのには、VTRなどで、できれば子供が主演の映画を借りてき
て最初は、字幕を見てもいいのですが、2回目はなるべく字幕を見ないで見るの
です。
子供が主役の映画だとゆっくりと話すので、初心者でも聞き取り易いので、きっ
と役に立つと思います。一番いいのは自分の好きな映画を選んで、楽しんで見る
こと。好きな俳優の気持ちになって、どんな表情で、どんな風に表現しているか
をよく観察すること。きっとそのうちにリズムが掴めてくるし、耳が慣れてくる
はずです。

私は日本語を勉強した時に参考にする為に見たのは、「サザエサン」でした。
明るく楽しく、第一「お早う、行ってきます、只今、お帰りなさい、頂きます、
さようなら」と本当に気持ちのいい挨拶がたくさんあって、よかったです。
論理的に、文法的に少々間違っていても、単語を並べて一生懸命話していれば、
だんだん判ってくる筈です。きちんと伝わればいいのです。
私の日本語は確かに余り上手ではないと思います。それは認めます。しかし、チ
ャーミングと言われ、わりに正確に判ってもらえるんです。
それは私が一生懸命に話しているからです。少々遠回りをしても、適切なボキャ
ブラリを使って真剣に話すこと。決して照れないで、相手に伝えたいという意欲
をもってやること。

第4は、できるだけ多く話す機会を見つけて話すこと。でもなかなか近所に都合
よく外国人がいないでしょう。だから、同じ英語を勉強しょうとする友達を見つ
けて一緒に勉強する仲間を作ることです。
私が1980年代に上海に行った時です。朝公園を散歩していたら、大勢の人達
が集まって、みんなで、わいわいがやがやと喋っているんです。何だろうと思っ
て近づいてみたら、何とお互いに仲間同士で一生懸命に会話の勉強をしているの
です。当時中国はまだ外国人はそう簡単に中国には入れない状態でした。聞いて
みたら、英語のかなり上手な人も、まだそうでもない人達もいましたが、みんな
一生懸命に夢中になってやってます。
中には日本語のグループもありましたので、私も仲間に入れて下さいと言ったら
喜んで入れてくれて、楽しく過ごしました。
もし仲間がいなかったら、鏡に向かって声を出して言って見ること。そして自分
で聞いてみること。本ばかり読んでてもあまり上達しません。

第5は自分の好きなことの中に英語を出来るだけ取り入れること。例えば英語の
歌を歌う。これはかなり効果があると思う。その他料理でもいい。英語の料理の
テキストを買ってきて、実際に写真を見たり、単語を勉強して解読して、レジュ
メ通りに料理してみたら、実感として必ず英語に自信がでてくると思います。
大人の英語はとにかく、他人と比較することはない。テストも心配することはな
い。

私は今スペイン語を勉強している。2年後に子供達と一緒にスペインに一週間く
らい旅行して、私が通訳したいと思ってます。そういう目標をもってやりたいと
思ってます。新しい言葉を覚えるということは、人生をもっと豊かに外国のこと
がわかり、本が読めることにより、もっともっと知識が増えて、益々人生が楽し
くなります。
お互いに頑張りましょう。

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┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) ===============================
┠●┼┨ 発行/2003.07.14
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 228 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。
ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.228 -
テレビ寺子屋[私が走り続ける理由] マラソンランナー 谷川 真理さん
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私は普通のスポーツ選手が引退する頃からマラソンを始めました。専門学校を出
て、4年間OLをして、24才から、突然走り始めて以来、今日まで続けている
秘訣を、主に精神面を中心にしてお話したいと思います。

勿論、中学から陸上に入って、400m,800mをやってました。でも余りに
も練習がも厳しかったので、途中で止めました。ところが悔いが残って、高校に
入って「よーしこの3年間は、兎に角続けてやってみよう」という気になりまし
た。練習は相変わらず厳しかったのですが、自分で決心したことですから、頑張
りました。当時は水を飲まずに練習するという時代でしたので、苦労しました。
わかってくださる人がいらっしゃるので、嬉しいのですが、水を飲まずに真夏の
炎天下に練習するのは、本当に辛いものです。耐え切れないくらいです。

グラウンドには、水が一杯入っているバケツが置いてあるのですが、これは飲み
水ではなく、体にかぶるためなのです。ところが、切羽詰まって、我慢しきれな
くて、先生の目を盗んで、上澄みをそっと掬って口を湿したりしてました。
先生はマネージヤーに渡すノートに、
「今日は、短距離、中距離、ハードル、1000mインターバル5本」
などと指示するわけです。たまたま今日は職員会議で、先生が遅くなると言われ
たら、「ワァー」と歓声をあげて、マネージャーに「3.28、3.30と書い
ておいてね」と頼んでおいて、実際には5本のうち2本しかこなしてないことが
ありました。勿論こんな具合ですから、インターハイには行けませんでした。た
だ、高二と、高三の時、関東大会の800mに出ました。
私達の高校のグラウンドは狭くて、アスファルトで、せいぜいテニスコートが二
面取れるという広さでしたので、水、土には400mのトラックのあるところを
借りて練習するのですが、私はそれが嫌で嫌で仕方がありませんでした。でも雨
が降れば、中止になるのです。
ですから、その日になると、教室の窓から空を見上げて、「雨降れ、雨降れ、雨
降れ」と必死に祈りました。
すると不思議なことに本当に雨が降ってくるのです。

あんまり窓の外ばかり見てるので、先生から「谷川、そんなに気になるなら、外
に出て走って来い」と言われて、走ったことも何回かありました。高校では最後
まで続けるのを目標にしてましたので、当然あと何日やれば引退できるのだと嫌
々やってました。1000mのインターバルをやって、若干呼吸の戻りが人より
速いということで、先生から「体育大か、実業団に入ってマラソンをやれ」と言
われました。丁度女子マラソンが始まった頃だったものですから。

しかし、私は英語の専門学校に進むことにしました。今まで高校の3年間、陸上
漬けだったものですから、せいぜい世間勉強をしたいと思ったのです。教室の席
は一番後ろの、入り口に近い席に座って、出席簿で呼ばれた時「ハイ」と返事し
て、やがて先生が黒板に向かって字を書き始めますと、そっと抜け出して、お茶
を飲みに行って、又次の授業には戻ったりしました。
サーフィン、スケボー、ローラースケート、スキーと目一杯遊びました。やがて
2年になり就職活動で、2,3社廻りましたがいずれも失敗しました。就職担当
の先生に「君はよりによって滑るスポーツばかりやったから、入社試験も滑るん
だよ」と笑われました。

それでも取り合えず卒業はできまして、そうだ、サーフィンに行くにも車が要る
から車の免許でも取ろうかなと思ってましたら、弟が「姉ちゃん、競艇の選手に
なるための学校があるよ。きっとお金が儲かるからこれを受けたらいいよ」と学
校案内を持ってきてくれました。
「なるほど、そうしょうかな」と考えていたら、たまたまその時、学校から電話
がかかってきたのです。

「明日、ある会社の試験を受けてみないか」というのです。よく聞いて見ると、
その会社には学校から3人すでに決まっていたのですが、そのうちの一人が急に
都合が悪くなって断ってきたそうです。当時はバブルのはじける前で、求人難の
時代で、人手不足で倒産するくらいでしたので、人がいればよかったのです。3
人揃えばよかったんです。誰でも良かったのです。

朝、試験を受けてすぐ採用がきまりました。棚からボタ餅でした。その会社は、
大手町の箱根駅伝のゴール地点のすぐ近くのビルの4階にありました。ビルの事
務所は窓が開かないので、空調はあるのですが、何となく酸欠のようで、空気が
よどんでいるような気がして、まるで水槽の中の金魚のようにアップアップして
いる感じがしました。
ファイルを取りに窓際に行って、外の人達を見ていると羨ましく思いました。そ
こで課長に「何か、契約書類をお客様にお届けする仕事はないのですか」と聞き
ました。「それでは、どこどこに行ってくれ」と言われました。私は喜んで、早
速黒板に「谷川、どこどこに書類届け。直帰」と書いて、仕事が終ったら渋谷、
新宿、銀座に遊びに行ってました。休日には波乗りに出かけて、真っ黒に日焼け
していました。
1年先輩の女性と一緒にサンドイッチやおにぎりを持って、ほかのビルの屋上で
日向ぼっこしながら弁当を食べたりしました。

24才の春のことでした。会社の同僚と「皇居に花見に行こうよ」と行きました
ら、たくさんの人がお堀端の周りを走っているのです。「うわー、こんなにたく
さんの人が走っているんだ」と感激しました。

皇居一周は約5キロです。しかも信号がないので全力で走れます。だからスプリ
ットが計り易いのです。初めての人で、30分か40分で走れます。しかも適当
なアップダウンがあります。
「じゃあ、明日から私も走ろう」ということで、走り始めたのがキッカケです。
当時は女性で走る人はとても少なかったのです。おまけに私はサーファーですか
ら、ピンクのレオタードを着て、ポニーテイルで走るものですから、男性がハア
ハア言いながらついてくるのです。私はそれを振り切るのが楽しみでした。
ある日、ある男性ランナーが私に近づいてきて、「いいペースで走っているね」
と話しかけてきました。私はいつも時計をはめずに走っていました。それは高校
時代、監督からいつも「3分18秒、3分20秒」と嫌というほど聞かされてい
たので、それが嫌でタイムに惑わされずに、自分のペースで走ろうと決心してい
たからです。
そして彼は私に「都民マラソンに日本人で優勝したら、シドニーのマラソンに派
遣してくれるから、参加してみませんか」と教えてくれました。私はそれを聞い
て猛然とファイトが沸いてきました。「よーし、ただでシドニーに行けるのか。
何がなんでも都民マラソンに優勝しなくっちゃ。頑張ろう」。
翌日から早速皇居を昼休みに二周することにしました。シャワーもありませんの
で、手洗いで体の汗を拭き、雨の日も走りつづけました。
遂に優勝して、飛行機もエコノミーじゃなくて、ビジネスクラスで、ワインをガ
ンガン飲みながらシドニーへ行きました。

いろんなイベントで次の目標はボストン、更にはサンフランシスコへとエスカレ
ートしていきました。最初に優勝賞品は高級ワイン6本、お米10キロと確認し
て、それをゲットすることを目標にして走りました。たくさんあるので、いつも
空の大きなバッグを持って行き、帰りには賞品を入れて帰ってきました。
中学、高校時代とくらべて、何が違うかというと、24才の時は、シドニーやボ
ストンにただで行きたいという目標があったからです。
無理にやらされて嫌々やるのと、自分の意志でやろうと思ってやったことは、辛
さや苦しさが100倍になる。だが、目標の達成を目指してやれば、必ずやれる
ものです。
走り始めた頃、新宿の熊野神社でこんな言葉を書かれているのを見ました。
「忍耐は苦しい。だけどその実は甘い」と。

どんなことがあっても、シドニーにただで行けると思えば、苦しいのを我慢しな
くちゃと思いました。目標があるのとないのとでは、やる気が全然違うのです。

1000mのインターバルを10本やるとしたならば、1本4分として合計40
分。苦しいのは最後の200m位で時間にして1分足らずの僅かなものです。1
本1分、10本で10分弱だ。
1日24時間のうち食事や、テレビを見たり、仕事をしたり、多くの時間を使っ
ている。寝ている時間はもっと長いかも知れない。その中の僅か10分と思えば
ほんの僅かな時間だ、我慢できないわけはない。
ものごと総てちょっとした見方、考え方を変えてみれば大したことでなくなるも
のだ。
苦しくて嫌なことは、たとえ1分でも長く感ずる。ならば嫌だと思わなければ、
あっという間にその時間は過ぎてしまうのだ。頑張る事によって必ずできる。

海外のレースに行く前に、私は高級時計店や宝石店で、優勝したら是を買おうと
目標を決める。パリマラソンで優勝したら、この時計を買いに来ますと、時計店
のご主人に話しました。そして後日、優勝してその店に時計を買いに行きました
ら、そのご主人が大きなバラの花束を用意して待っていてくれて、おめでとうと
言ってくれました。大変感激しました。
それ以来、自分への目標達成のご褒美にと1個づつ記念品が増えていってます。

目標に通ずる階段を、ステップ バイ ステップ、 一段づつ頑張ったら必ずで
きる。やりたいという気持ちを大事にしましょう。辛いのを克服した時の喜びと
運動が、この環境を作った。一つの忍耐を克服したら何でもできる。

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┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) ===============================
┠●┼┨ 発行/2003.07.21
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 229 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。
ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.229 -
テレビ寺子屋[ジェフ流文化の伝え方] 帝塚山学院大教授 ジェフ・バーグランド
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前回は「Salience」「セーリエンス」意識にのぼる、自分の意識の中にあるとい
うことから、異文化コミニュケーションについて述べました。
今日は更にまたその延長線で、 「Mindful」「マインドフル」心を籠めてという
面から、異文化コミニュケーションの研究を深めていきたいと思います。
これは、心を働かせて、相手がコミニュケーションを取り易いようにする、いわ
ば心からの思いやりというようなものです。

一般にコミニュケーションというと、「音声言語」と思い勝ちだが、実はそれだ
けではなく、ファッションや、髪型、姿勢その他が大きく働いているのです。
日本人はそういった間接的コミニュケーションを、昔から大切にしてました。
京都では、お客さんをお迎えする前に玄関先を掃き清め、ちゃんと打ち水をして
涼しくして、部屋にはお香をたきこめてよい香りでおもてなしをする。
客もその非言語コミニュケーションで、もてなされていると言う事を感じとるの
です。
ところが、私は最初それが判らず、きっと植木にかけた水が少し多過ぎたので、
残ったのを撒いたのかと思った。お香にしても、何かいい薫りがしているなとは
思いましたが、まさか自分のためにしてもらっていたとは知りませんでした。
今の若者が経験不足で、鈍感と言われますが、外国から来た人達と同じく、水の
やりすぎとか、薫りも自分の為にしてくれてるとは思わないようだ。

文化とは世代から世代へと伝えるものです。伝えないと駄目なんです。
年寄りがどうも、今の若いものはなっとらんと言いますが、実は伝わってないの
です。というのも、受ける側が拒否しているのではなく、伝えるべき方が伝えて
ないのです。
一例として「今の若者は我慢ということをしない。大声をだしてわめく」という
が、実はその我慢というのは、畳に基づくものなのです。私が最初に日本に来た
時、畳文化が無かったので、畳に座ってご飯を食べたり、人と話すということが
できませんでした。正座も10秒か、15秒しかもたなかったのです。やがてだ
んだん慣れてきて、今は3,40分は座る事ができるようになった。

今の若者は、畳の少ない家庭に育っているのだ。
だから、座りの訓練がされていない。昔は親と客が話しをしている時は、横にち
ゃんと座っていないといけない。もし足がしびれたら、膝をつねられたりする。
そうやって我慢をしなければということを身体で覚えるのだ。だから自然と、暑
さ、寒さ、ひもじさ等も、ある程度は我慢するものだということを、自然に覚え
るのだ。
今の状態が自分にとってどうも思わしくないなと思っても、すぐ変えるべきか、
少しは周りのことを考えて、我慢をするべきかをだんだん身につけていかないと
社会生活ができない。
その躾というのが、日本では畳文化で伝えられていたのですが、今は現実に畳が
少なくなってきている。
だから、大人に言いたいのは、自分が文化を伝えなくて、ただ怒るのはおかしい
と思う。やはり、ちゃんと伝えてから、それができなかったら、注意するという
ようにしないといけない。たとえば、畳の縁を踏んではいけないとか、細かい注
意が必要だ。すでに出来上がっている文化を伝えずに怒るのは、無責任と思う。

相手の文化を意識するのが、前回述べた「セーリエンス」ということです。
基本的に、我々は世代、世代に亘って、自分のアイデンティティ(人格)は様々
な文化を受け継いで来ました。14に分類できます。そのうちの幾つかを挙げま
す。

性文化(男性は男性から、女性は女性からそれぞれに受け継いできました)
年令文化(各自の年令に応じた理解の度合いの相違)
地域文化(東洋と西洋、外国と日本、関東と関西、都会と地方、等々)
言語文化(世界各国の母国語、方言、古代語と現代語、大人と若者の言語)
国民文化(人種の別によるそれぞれの歴史が受け継がれる)
身体の状態文化(健常者と障害者、耳の不自由な人は、音声言語認識は無く、目
によって、相手の口の開きを確認して、意思の知ることができる。又は手話で、
意思伝達をする。目の不自由な人は点字文化)
経済レベルによる文化(家のある人、ホームレス)
仕事文化(定時収入のある人、そうでない人)
国の成長度合い文化(先進国と発展途上国)
結婚歴文化(既婚か未婚か、離婚歴があるか)
子育て文化(育児の経験の有無)
親子文化(両親か片親か、父子家庭、母子家庭)

その時、自分が何を意識しているかは、置かれている環境、場面によって当然変
わる。同時に今、相対している相手も、その時々で違うわけだから、それを機敏
に察して、相手を思いやってコミニュケーションをはかっていくのが、マインド
フル(心をこめて)ということです。

私も、アメリカ人、日本に35年前に来て、関西人を意識している日本文化を愛
している外国人、大学教授、夫、父親、孫がいるおじいちゃん等々ですが、一人
の自分がその何を意識するか、場面によって変わる。
今日の会場は女性が圧倒的に多いので、私は男性を当然意識しています。幼稚園
にいくと、年令の差を意識する。

その時、その時違う自分があるように、相手も違うのだから、いつも同じと思っ
て対応すると、ミスコミニュケーションになることがあるのだ。
だから、相手を大事にして、今どんなことを考えているか、どんな状態かを慮っ
てコミニュケーションをすることが、マインドフル、思いやりということに通ず
るのです。
日本人は家族社会の呼び名で、一般の人の間で呼び合う文化をもっている。例え
ば一定の年令になった女性に、おばあさんとか、おばあちゃんとか無意識に呼ん
でいるが、問題もある。年令を気にして、そう呼ばれるのを嫌がる女性もいらっ
しゃるのです。
私の知人で、確かに年令的には相応の年にはなったのですが、自分の一人息子が
27才で交通事故で亡くなり、もう孫は絶対にできないのだから、おばあちゃん
と呼ばれる度に、亡くなった息子のことを思い出すので、どうぞ、田中さんと名
前で呼んで欲しいと言っておられます。
商店などで「奥さん」と呼びますが、未婚の女性は嫌だと思うかも知れません。

自分勝手に相手を呼ぶのでなく、相手に決めさせる。察する、確かめるというの
も必要なことです。相手がどういう自分を意識しているか。
日本では、普通結婚により夫の姓に変わる。多くの女性が結婚当時は、今までは
鈴木さんだったが、木村さんと呼ばれて、初めて「はい」と答えるのに、ちょっ
と戸惑った経験もおありでしょう。
どんな人でも相手が今どんな立場で見て欲しいか、心を籠めて探っていこうと思
います。

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[230]
┏┯┯┓input-alpha/mail magazine ( 10 ) ===============================
┠●┼┨ 発行/2003.07.28
┠┼○┨ 素晴らしい人生のために/今日の応援歌 【 第 230 号】
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●人生を生きていくとき、くじけそうになることはありませんか?
人生が素晴らしいものであるよう、素敵な言葉の応援歌を送ります。
ぜひ、お読みになった感想をお寄せ下さい。ほんの少しの言葉で結構です。

----------◆CONTENTS◆------------------------------------2004 vol.230 -
テレビ寺子屋[マラソンを通じた出会い] マラソンランナー 谷川 真理さん
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私は現在各地の市民マラソンで、年間20〜25本平均で10キロ、20キロを
走っております。
でも最近は一寸膝を怪我をしたので、あまり長距離はやらずに、筋肉トレーニン
グや水泳ををやっております。トップアスリート達は殆ど完全休養はよほどの時
しか取らずに、毎日欠かさずに走っているようです。

今年で5回になりますが、毎年、地雷廃絶の真理のチャリティマラソンというの
をやってます。最初は3000人位の参加でしたが、今年は、全国から9800
人もの参加者がありました。
地雷のことを知って貰いたいと思って始めたのですが、荒川沿いで、2キロ、3
キロ、5キロ、最長は、ハーフマラソンの21キロをそれぞれに応じて、走って
もらいます。参加申し込み時に一口寄付金として100円を頂き、その他、地雷
募金や、チャリティオークションなどで、約150万ほど集まりました。地雷を
1個撤去するのに、何と約5万円ほどかかるのです。まだまだ、なかなか追いつ
きません。

今日は地雷のことについて、お話ししたいと思います。
私が地雷に関わりましたのは、イギリス人の元軍人だったクリス・ムーさんとの
出会いがあったからです。彼はモザンビークで地雷の除去作業をしている時に、
不運にもそれが爆発して、右手、右足を失いました。

彼との出会いは、1997年の東京国際女子マラソン大会で地雷廃絶のテーマを
持ってやっていたのです。私は選手宣誓をしました。恥ずかしい話ですが、それ
まで私は、地雷の知識は全然ありませんでしたが、
「私達は幸いに足があります。世界には走りたくても走れない、気の毒な子供達
に代わってゴールを目指して走ります」と誓いました。
翌、1998年の長野オリンピックの最終聖火ランナーとして子供達と、一緒に
なって、白い服を着た彼が開会式にやって来ることになりました。
そして閉会式が終って、箱根から東京まで約100キロと、続いて世界各国の大
使館70箇所、地雷廃絶のレターを持って、約30キロを是非一緒に走ってくれ
ないかという話が持ち上がりました。私は喜んでお受けしました。

午後2時、100キロ先の東京のゴールを目指して、号砲とともに、彼は物凄い
スピードで走り出しました。私は驚いてその後を追い駆けて行きましたが、やが
て皆が見えなくなったところで、ゆっくり走り始めたのです。私は不思議に思い
ました。それは100メートル全力疾走したら、乳酸が急速に増えて、体は物凄
く疲れて、それから又、元のペースに戻すのは大変なのです。それを敢えてどう
してやったのか、あとで聞いてわかったのですが、箱根の町内の皆さんが総出で
出発を見送ってくれているのだから、ぜひ元気良く走り出さないと申し訳ないと
思ったからだったそうです。
片手、片足の身体でも健常者に負けないように頑張って走ることができるという
ことをアピールするためだからです。走っているうちに、いろんな所で沿道の人
が応援をしてくれるのですが、その度に立ち止まって毎回手を振って応えるので
す。
走る人ならきっとわかると思うのですが、一回止まると折角のリズムが止まるの
です。又走り出す時、とりわけ義足で一歩を走り出す時の衝撃は大変だと思うの
ですが、終始ニコニコしているのを見ると、その強い精神力に驚かされました。

やがて多摩川あたりまで来て、あとゴールまで10キロ位のラストコースに差し
掛かった時、クリスさんが、足が痛いと言って、休憩しました。走り用と普通の
義足は違うのです。
義足との接点は大きな水ぶくれになって、血だらけになっているのです。もう片
方の足の親指は血豆になって、おまけに体調を悪くして、吐いてしまいました。
この後、各国の大使館を廻るのに約30キロくらいあるから、もう止めたらどう
でしょうかと言いましたら、いやどうしても自分の足で最後まで走ると言って聞
きませんでした。
朝の4時頃、ようやくカンボジヤの大使館に入りましたが、途中3,4度サンド
イッチやバナナを食べましたが、14時間走り続けました。その後、仮眠を取っ
て、9時に出発しました。韓国の大使館に着いた時は大きな花束で歓迎を受けま
した。ドイツの大使館ではシャンペンで乾杯をしてくれましたが、まだこれから
何十ヶ国も廻りますので、ジュースで乾杯してすぐ走り始めました。
最悪のコンディションにも拘らず、クリスさんはいつもニコニコしているので、
この精神力は一体どこから出てくるのだろうと、今更ながら驚きました。
彼はイギリス人なので、ゴールはイギリス大使館でした。ところがゴールしたら
「はい、ゴールしました」とあっさり報告したまま、向こうへ行ってしまいまし
た。私が「おめでとうございました」と挨拶したのに、「ああ」と、たったこれ
だけかというくらい、あっけないものでした。どうしてなんだろうと思ったくら
いでした。

実は箱根で出発の前に、クリスから、丸いライトの点くバッチを貰って、夜通し
ピカピカ光っていたのですが、ゴールに入ったら点かなくなったのです。
そこで私は外してテレビの上に置いていたのですが、不思議なことに一ヶ月後に
ピカッピカッと点きはじめたのです。丁度クリスさんも本の出版の件で再来日し
ました。

地雷は今でも、7000万個から1億個が撤去されずに残っていると言われてま
す。当然、まだ通過点に過ぎないが最後までやりぬく覚悟だと言ってます。
「自分は片足、片手ですが、健常者以上にやれるという勇気を出そうよ、という
ことを言葉を多く言うよりも、行動を多くしたい」としているのです。

今ここにあるのは中国製の地雷です。
直径は10センチ位で、300円位です。真ん中のペコペコする所を押せば、爆
発するのです。プラスチック製なので、金属探知機にも引っかからないのです。
15センチ位の深さに埋められているのです。

1978年にソ連がアフガニスタンとパキスタンの国境付近に埋設したのです。
私はもっと地雷のことを知りたいと思って、パキスタンに行ってきました。
それから、雨風や台風による水害で流されたりしても、何十年たっても効力はそ
のまま、衰えないのです。
もともと地雷は、それを埋められたところから、敵が侵入して来られないように
する、自分を守るためのものだったのですが、今は自分達の意志がない。
ペジャバール、バジュールというところは、最初砂漠ばっかりかと思っていたの
ですが、美くしい山々、緑の小麦畠で、どこに地雷が有るのだろうと思ったくら
いでした。
アフガニスタン等の小学校では、地雷に対する積極的な危険防止のための授業が
行われている。

1.絶対に触ってはいけない。
2.なるべく舗装道路を歩くこと。
3.もし、発見したらそのまま後ろにさがって、大人に知らせること。

ところが学校に行けない子供達は、知らずに犠牲になるのです。大人は畠の農作
業中にやられる人が多いのです。
次に病院も幾つか見ましたがいずれも汚いシーツで、設備も粗末で、何で罪のな
い彼等がこんな目に遭わなければいけないのかと、言葉を失いました。

サフィヤという女の子は、7才の時、庭先で地雷に触れて両足と左腕がないので
す。やっと14才になって、初めて義足がきたのです。しかも成長と共に替えな
いといけないのです。貧困の者には大変なのです。

12才の男の子供は釣りをしている時、何だろうと拾った時、破裂して両腕を失
くしてます。

私も日本から行くので、せめてお土産をと思い、縫いぐるみや、Tシャツや、ボ
ールや、、折り紙やキャンディなどを一杯持って行きましたが、腕のない子供の
口の中にキャンディを入れて上げる時に、ふと思ったのですが、この甘さを知っ
た子供が、又食べたいと思った時、キャンディがあるだろうかと思ったら、この
甘さを教えて、果たしてよかったのかと、複雑な心境になりました。
援助の仕方は難しいなと思いました。

子供達はこんな中でも、大きくなったら医者だとか、学校の先生になるのだと言
っているのです。

戦争は子供を多く殺した方が勝つのです。将来が無くなるからです。ひどい話で
す。信じられないくらいです。日本は幸せです。暖かい食事、暖かいベッドがあ
り、当たり前のことだと感謝しなければいけない。今でも世界中に不幸な人がた
くさんいるのです。
地雷が無くなるのを心から祈ってます。

たった300円で出来たものを除去するのに5万円もかかるのです。戦車用のは
当然だがもっと大きく、被害も桁違いに大きいのです。銃やミサイルは意志を持
った人間が引き金やボタンを押すのだが、地雷には意志がなく、全く関係のない
誰か、しかも弱い者が犠牲になるのです。
人類皆で助け合わなければいけないと思います。

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IA magazine 素晴らしい人生のために 毎週水曜日発行(週刊誌) No.230

責任■小林高一/インプットアルファ現代情報研究所 ko-ko@bb.futaba.ne.jp
執筆■中村豊秀/ヒューマンコミニケーションセンター ldj@if-n.ne.jp
配信■まぐまぐ 0000026706 http://www.mag2.com/ 登録と削除もこちらから

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